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青年会 −FOCUS−
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2004年  青年会FOCUS MEETING


FOCUS BIBLE STUDY (2月15日)

講師: 池之上 さち先生

今回の課題祈り

講師:池之上 さち先生

今までは、人生の成功方法という観点からFOCUSのみんなと共に聖書を学んで来ました。
今年からは、いろいろな方を講師、カウンセラーにお招きし、私たち自身が持っている人生の中にある疑問やみんなで共有したい事がらなどを話し合いたいと思います。


イエス・キリスト、そして聖書に出会い、「いのり」に出会います。でも、祈りっていうのは実際には何なのか?どうしたらいいのか?分からないことはないでしょうか?
今回は池之上 さち先生を講師にお迎えして、FOCUS メンバーとともに「いのり」について考えてみました。

ルカの福音書 2413-35の箇所をとうして礼拝について学びましょう。

1.礼拝、祈りは旅に例えられます。

      イエス・キリストは処刑され、3日後に甦られましたが、11人の弟子たちはこの事を信じてはいませんでした。その後13節に書いてあるように2人の弟子たちは重い気持ちを持って、エルサレムからエマオという村に出発しています。

なぜ、二人の弟子たちは重い気持ちで出発したのでしょうか?

・彼らのうちにはイエス・キリストが生きている間に王となり救ってくれるという期待があったがイエスの死によって打ち砕かれた。

・イエス・キリストが生きていたからこそいいことがあるという希望を失われてしまった。

・イエス・キリストの復活を信じていなかったので、将来への希望が持てなかった。

そうです。希望を失われるとき、「いのり」という事への信用はどうでしょう?揺るぎはしないでしょうか?でも、この「信じる」という事へ到達するためにクリスチャンとしてこの二人の弟子たちのようにイエス・キリストとともに旅に出ているのです。

2.クレオパスと友は自分たちの家にイエスを招待します。

17節でイエス様は彼らに近づいてきてお話になっていますが、この弟子たちの目はさえぎられていて、この方が、イエス様だとは気付いていません。

そして、25節以下29節までイエス様は彼らに聖書の中のご自身の事が書かれていることをご説明されますが彼らは、まだ気付きません。

なぜ、彼らは近づいて来られた方をイエス・キリストだとは信じなかったのでしょうか?

・余りにも大きな悲しみが覆っていてイエス・キリストの復活を信じていなかった。

・心を閉ざしてしまっていた。

では、なぜ、イエス・キリストはご自身がイエス・キリストだという事を弟子たちにお話にならなかったのでしょうか?

・イエス・キリストはすべての出来事を全部知っておられ。彼らが絶望していることも見抜いていらっしゃった。でも、イエス様は優しい方で、何も無理強いして「信じなさい。」という事はせず、彼らの心の目が開かれるのを待っていた。

常に、イエス様は私たちに話しかけてくださっています。しかし、私たちが心を閉ざし、耳を傾ける事をしなければイエス様の言葉を聞くことはできないし、また、イエス様も無理強いをされることなく私たちの心が開かれることを待っていらしゃいます。いつでも心の準備をして、イエス様の言葉を待ちましょう。

3.彼らの目が開かれる。

 30節以下二人の弟子たちは彼らと共に旅をしてきたのはイエス・キリストであったと気がつきます。

 なぜ、彼らはイエス様であると気付いたのでしょう?

 ・通常、家に住んでいる家主がホストとなり招き入れたゲストの世話をします。しかし、この節の中でゲストであるはずのイエス・キリストがホストとなりパンを裂いて彼らに渡されているのです。この事は、最後の晩餐でイエス様がパンを裂き「わたしを覚えてこれを行ないなさい。」と言われたことをこの二人に思い出させたのです。

 心を開き、イエス様をホストとして自分自身の中に居ていただくこと。神様からの御言葉を聞く心を大切にすれば、神様はいつでも私たち自身の中に入ってきてくださいます。

いのり」について

「いのり」はどういう意味ですか。

1.自分の都合を後にし自分の意志で時間を取る事で神様に愛を示す。

2.祈る時間を持つことにより心を静め、神様からの御言葉を聞く姿勢をつくる。

詩編 27:8

「あなたに代わって、私の心は申します。」「わたしの顔を、慕い求めよ。」と。 主よ。あなたの御顔を私は慕い求めます。」

  イザヤ 4519

 「私は隠れた所、闇の地にある場所では語らなかった。ヤコブの子らに「むなしくわたしを尋ね求めよ。」とも言わなかった。わたしは主、正義を語り、公正を告げる者。


「いのり」
について幾つかの簡単な注意

池之上さち先生から簡単に祈るときの姿勢について簡単な注意点を教えていただきました。

1.場所、姿勢にこだわらない。いつでもどんな事をしていても心を静めて御言葉を待つ事。

2.以下の聖書の箇所に書かれているように神様は私たちの心の願いをもうすでに知っていらっしゃいます。その事を祈りとして神様に向かって口にする。


詩編4610

「わたしは、終わりのことを初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げ
「わたしのはかりごとは成就し わたしの望む事をを全て成し遂げる。」と言う

詩編145:19

「また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。」

3.神様はすぐに願いをかなえてくださらないかもしれない。そうすると心に失望が現われ、神様の御言葉を聞く心がなくなってしまいます。でも、神様はいつも最善の時に最善をして下さいますので、神様に時間を与えること。

第一列王記3:9

「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

4.心に失望が現われたら、讃美歌を歌う。

5.聖書を読むこと。聖書の中から自分の好きな御言葉を常に心に置いてその言葉を繰り返す。

6.自分の心に神様を常にホストとして迎える。

詩編127:2

「あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。」

主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。」

7.神様は私たちの弱さをご存知であり、私たちの「いのり」は聞かれていないと思うこともありますが、神様はすでに聞いてくださっているという確信を持ち祈ること。

詩編63:8

「私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。」

ヨハネの福音書21:17

「イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

詩編145:14

「主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。」

ヘブル人への手紙10:35

「またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。」

 今回はたくさんの聖書箇所を振り返りながら、「いのり」について学んできましたが本当に「いのり」は礼拝と神様の言葉から離すことはできないと思います。実際にイエス様は生きておられ私たちの一人一人と共に人生を歩いて下さっています。その事を常に思出すためにも祈る事を忘れることなく、これを読んで下さったみなさんがイエス様を心のホストとして迎え入れ毎日を楽しく過ごすことができるようお祈りしています。

FOCUSSTAFF:
初鹿 里江