| 教会員紹介 |
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教会員の方々の感動的な体験談を是非お読み下さい。 | ![]() |
| NO,3 | 初鹿里江 | 素晴らしい体験 |
| NO,4 | 増田美保 | イースター礼拝 洗礼式 |
| NO,5 | 長谷川勝三 | 家内の一周忌を迎えて |
| NO,6 | 青木忠彦 | 主に触れられて 感動 |
| NO,7 | 塚本信人 | 孤独と不安からの解放 |
| NO,8 | 佐藤 修 | イエス様を信じた理由 |
| NO,9 | 宮野満由 | 涙の洗礼式 |
| NO,10 | 谷口あがさ | 洗礼の証し |
| NO,11 | 鈴木好子 | 感謝します! |
| NO,12 | 平野三友紀 | 私は決心しました! |
| NO,13 | 仁美Brouillard | ありがとう! ジェイク |
| NO14 | 拵 望 | イエス様との出会い |
| NO15 | 桑野由起子 |
洗礼を受けました! |
| NO,3 初鹿里江 |
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| 素晴らしい体験をしました。感謝でいっぱいです! 私はなんと30歳を迎えました。この30年間を思い返してみると、よく人をうらやんだり、なんでうまく行かないんだろうかと悩んだりすることが多かったように思います。それに、イエス・キリストを信じた後も、私の生活は特に以前とは変らず、仕事でもうまくいかず、人間関係もうまくいかず、神様どういう事?と思ってばかりいました。なぜならば、イエス・キリストに出会う前も出会った後も、自分のうちにある願いをどのように神様に現したらいいかわからなかったからだと思います。 1ヶ月程前、私は主が用意してくださったと 言わずにはいられない経験をしました。ある土曜日の夜突然、将来に対する不安が襲ってきました。何も見えてこない私の未来、これだったら死んだ方がましなんじゃないかと思ったんですね。私は、未来への不安と死への望みから眠れなくなり、いつのまにか聖書を胸に抱いて祈っていました. 「神様、どうか、このまま、未来への不安の中で生きていくのならば、私を天国に迎えてください。神様にこの命を委ねていますから、どうか天国に迎えてください。」眠れない夜が過ぎ、そのまま教会に行っていました。その後、教会の方達と昼食にでかけたそのレストランの駐車場で、何とブレーキが効かなくなっているのに気付いたのです。もちろん、パニックになりました。しかし、主は備えてくださっているんですね。そのレストランの2ブロック先にはブレーキショップがあったので無事ブレーキを直してもらえました。 どうでしょう?私なりの勝手な解釈かもしれませんが、この経験は主の愛と御業を現してくださっているのだと思えないでしょうか?というのも、ブレーキが効かないことが分かったのは、運転中ではなくて大きな事故にもならなかったのです。主は委ねた命をおとりにはなりませんでした、そしてその10日後には仕事が決ったのです。 私は、この経験を通して、 1) 自分の内に生まれた願いは強く真剣に主に祈るという事. 2) 試練が与えられる事もあるかもしれないけれども、主の御業が現われるまで待つ事をもしなければい け ない! この2つの事を教えて下さった様に思います。今後何度も死にたいと思う経験があるかもしれないけれど、私にはイエス・キリストが側にいて下さることを思い、いつまでも心に平安を備えていようと思います。 この世にイエス様を与えてくださった主に本当に感謝です。 「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 だれであれ、求めるモノは受け、探すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。」 (マタイ 7章7節〜8節) 教会員紹介に戻る |
| NO、4 増田 美保 |
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2003年4月20日 イースター礼拝 洗礼式 二人目の父親も私達を離れていき、私は母を支えて、自分は強くならなければいけないと がんばっていましたが、その反面、もう人の助けはいらなく感じてきました。 クリスチャンの人々はとっても立派で私には真似できそうにありませんでした。大学三年目の夏、私はバンフで働き、主人に会いました。 そして、自立して見せようと言う気があったため、エドモントンに戻りませんでした。 それから、約四ヵ月後、私の中に新しい命が生まれた事に気がつきました。神様は私達のそばにいて下さいました。移民ビザ、仕事などあらゆる面で私達三人を支えて下さいました。 そして、95年に弟を亡くしました。久哉は明るくいつもニコニコしていました。いろいろな事に興味を持ち、積極的でした。私は最初、彼の洗礼式には出ないつもりでした。すると、弟の久哉が 「僕の一番大事な日なのに、どうして来てくれないの?」と、電話して来たので、出席しました。行かなかったら、一生後悔したかもしれません。久は 洗礼されてから すぐに天国へ行ってしまったからです。 この後、私はいろいろと考えさせられました。戻って来てからバンフパーク教会に通いだしました。弟が 私がクリスチャンになるのを強く願ったからです。バンフでの私は孤独でした。カルガリー市に越して 新しくやり直したいと祈り続け、97年にはその願いも可能となりました。私は、まだ主を受け入れられませんでした。 娘が生まれてから 一年半もの間、私の腕で泣き叫ぶ子は 私の罰だと思っていました。私を必要な母と兄弟を残して 自分勝手なことを続けたから。 でも、面倒見のいいしっかり者のお姉ちゃんの役はウンザリしていました。 2000年の9月にリンダ ダークス夫人と バイブルスタデイを始めました。その二カ月後、夫人が その日から、2年余り過ぎました。私の生活そのものにはあまり変化はありませんでした。けれども、心の中で変わった事は たくさんあります。 * ブルーな時より、ハッピーなときが多くなった事。 第1ヨハネ4:15−16 |
| NO、5 長谷川勝三 |
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家内の一周忌を迎えて
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| NO、6 青木忠彦 |
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<教会にくるまでの自分> 私は昭和17年生まれで、今日でちょうど61歳になります。私は佐賀県の小さな村で生まれました。そして、8歳のときに福岡県久留米市に移り18歳までそこで育ちました。 生まれつき体が大きかったので父親と兄から柔道をやるように進められ、中学一年の時に無理やり柔道をやらされました。それ以来、柔道とは一生の付き合いになりました。高校一年のとき黒帯(初段)になり高校3年の時に、全国大会で優勝を遂げました。それから、明治大学に入学が決定し入学する予定でしたが、私はどうしても当時ブラジルへ行きたくて仕方がなかったため、親の反対を押し切って大学へ行くために乗った汽車から途中下車をして姿をくらまして・・・、つまり、ブラジルへ行くために家出をしたのです。 したがって、結果的に一年浪人をし、翌年、日本大学に入学しました。日大の柔道部に入部し卒業するまで毎日が柔道、柔道の明け暮れでした。大学時代に柔道を通じて友達になった日系カナダ人のスポンサーでカナダに移民することになり、カナダに移民したのが、1966年9月18日でした。言葉も習慣も違うカナダは私みたいな学校で勉強していない者にとっては大変な苦労でした。 当時、(37年前)は日本人も少なかったのです。私は柔道だけしか知らない24歳の若者でした。色々な恥、また数多くの失敗を経験し、自分なりに頑張ってきました。 現在、私には二人の息子と一人の娘がいます。長男と娘はすでに結婚をし、それぞれ家庭をもち子供もいます。(計:孫5人です)。次男のスペンサーは現在、行方不明です。行方不明になってもう1年と4ヶ月が経過しました。まだ消息が知れません。大変心配です。私自身、2回結婚をしております。今は英国人の妻とは約10年別居中です。 <教会に来るようになった理由> 私は約2年前にカルガリーに来ました。カルガリーにきた理由は色々ありますが・・・。私はトロントに3年、バンクーバーに22年ほど住んでいました。カルガリーに来る前は日本に約8年間ゴルフ場経営の為に住んでいました。日本経済のバブルがはじけ、カナダに体一つで3年前に日本から帰ってきました。そして、2年前にカルガリーに来て、現在は車の販売をしています。教会に来るようになった理由は日本人に会いたくなったことと、それに教会に行って日本人に会えば車を買ってくれる人がきっといるに違いないと思ったのです。大変、失礼な話しですが、始めからキリスト教を信じようとか、またキリスト教にそんなに興味があった訳ではありませんでした。 でも、何度となく教会を訪れるうちに、そして、教会に来る人達と会い、話しをするうちに何となく気持ちが変わってきました。そして、一年前に私の息子のスペンサーが麻薬がらみで行方不明になってしまいました。その時、私は思ったのです。 スペンサーがあやまちを犯し行方不明になったのは、私にも充分責任があり、落ち度があったからだと思いました。 キリスト様にお祈りすればもしかして・・・という気持ちになったのです。 そして、教会に来ると何となく気がいやされ楽に」なるような気にもしたし、教会の人達もとても歓迎してくれたのです。そういう訳で教会にくるようになりました。
アーサー・ホランド先生のメッセージも私の心にイエス・キリストのイメージがかなり強く残りました。アーサー先生が柔道家であったこと、また。彼の尊敬する柔道の先生が、たまたま、私が大学時代によく練習をした同輩であったことも大きく影響したと思います。そして、今回、佐藤彰先生の素晴しいメッセージを2度、3度と聞くうちに私の心は完全にキリスト教を受け入れる用意が出来たのです。 イエス・キリストに対して私の閉じていた心の扉を開けることができたのは、佐藤先生が、佐藤兄の家で私の行方不明の次男のスペンサーのために私の手を取ってお祈りをしてくださった時です。その時、私は自分の罪を悔い改めて、イエス・キリスト様を私の心にお受けしよう、そして、これからイエス様と一緒に歩いていこうと、私は決心しました。そうすれば、きっとイエス様が私を良い方向に導いてくださると信じるようになったのです。 |
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| NO、7 塚本信人 |
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証です。 以上です。 |
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| NO、8 佐藤 修 |
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2004年3月14日 洗礼式 洗礼式後梶原先生ご夫妻、又多くの方々より祝福を受け、お祝いのケーキを頂き楽しい一時を持ちました。梶原先生ご夫妻はビクトリア日系人教会にて牧師としご奉仕され、3月中旬にビクトリアに行く事予定ですが、佐藤 修さんを信仰へと導いた先生とし、洗礼にかけつけて下さいました。素晴らしい洗礼式でした。 ハレルヤ! |
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おはようございます。佐藤修、カナダに来て2年半になります。今はSAITで電気通信の勉強をしています。 なぜ僕がクリスチャンになろうと思ったのか? 約10年くらい前ですかオートバイの事故で九死に一生を得て、其の直後にちょっと不思議な経験をして、それからイエスキリストってなんだろう?Christianityってなんだろうって思うようになり、その当時に出版された小説聖書、新約と旧約編を読んで、なんて面白い本なんだろうと。けれどもそんなナンセンスな事なんか在る訳があるもんか、ただの誰が書いたか分からない証拠の無い文献なんか誰が信用するかっていつも思ってました。 それから何年か過ぎカナダのバンクーバーで勉強をする事に決め、どうせカナダに来たのだからChristianityも勉強をしようと決めました。始めはイエローページなどで日本人教会やら色々と電話をしたりしてたんですが、どれが僕にとっていい教会なのか皆目検討もつかず諦めて、それにあまりの勉強の忙しさに時間が無くChristianityの勉強はせず、ただ時間が過ぎて行きました。 訳あってバンクーバーの大学を止め、カルガリーのSAITに入る事になりました。ここでは時間に多少のゆとりが出来、毎週日曜の教会のESLに通うようになり、そこでMaryさんに会い、そこからが僕のクリスチャンになるターニングポイントではないかと思っています。Maryさんのお陰で梶原先生、けいこ先生にも会い、色々な人々に助けられ、ただ単純にクリスチャンの人達ってなんていい人なんだろうと思い始めました。 それでまたもう一度真剣に勉強してみようと。それで僕は段々と、Christianityを自然に受け入れている自分を感じ、けいこ先生にお願いして毎週の金曜日に勉強会を始めて貰いました。同時に梶原先生に三浦綾子さんの旧約と新約聖書入門は構成が良いからと勧められ読んだんです。其の本がなんと分かりやすく書かれている事か。それでよし俺もクリスチャンになろうと思って2月の6日にけいこ先生と供に宣誓をしました。 まだまだ沢山疑問や分からない点があります。しかしイエスキリストを私の救い主として決めて、主の御言葉の“主は私達の為に命を捨てて下さった。それにより私達は愛を知った”を心に留め信仰してたいと思います。 |
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| NO、9 宮野満由 |
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2004年4月11日イースター礼拝の時ユースグループ(フーカス)が特別賛美をして下さいました。英語部のユースの方も加わり素晴らしいハーモニーを聞かせて頂きました。同時に宮野満由さんへの洗礼感謝賛美ともなり感動的でした。左から4人目が宮野満由さんです。洗礼式に語られた内容が下に載せてあります。是非お読み下さい。 |
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「 私が Christianになったのは、特に大きな事件とか、この間洗礼を受けられた佐藤修君のように、死んでもおかしくない事故にあったのに、軽い傷ですんだとか、そんなミラクルな事がきっかけになったわけではありません。私がChristianになったのは、神様がずっと呼びかけて下さっていたのに気付いて、それを受け入れただけなのです。 |
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満由姉!洗礼を受ける事が出来て感謝ですね、教会の方々も満由姉のイエス様を信じた証しを聞きながら涙を流されていましたよ!それは満由姉が同じように神様に心から感謝し涙していたからです。教会内で大きな喜びがありましたが、それ以上イエス様は満由姉の洗礼を「すごく すごく」喜んで下さったことでしょう。十字架にかかり愛して下さったイエス様だから!!ハレルヤ!! |
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| NO、10 谷口あがさ |
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【洗礼の証し】 谷口あがさ
私はクリスチャンホームで生まれ育ちました。それで小さい頃から教会に行っていました。でも、神様を礼拝しに行っていたわけではありません。友達と遊ぶために行っていました。 中学2年の時、いじめに会いました。その時、両親や教会の人に祈ってもらいました。しかし、いじめはひどくなっていくばかりでした。そのような中、私はこんなひどいいじめは絶対に解決することはないと思いました。でも、何ヶ月か経ったあと、そのいじめは奇跡的に解決しました。いじめていた子たちが、私にあやまってくれました。私は初めて神様が私の祈りを聞いてくださり、解決してくださったことを知りました。これは神様だけしかできないことでした。それで私はイエスさまを受け入れようと思いました。 それからも私は、生きて働かれるイエス様を体験したいと思いました。母は「聖書を読みなさい。イエスさまは聖書を通して語ってくださる」と言いました。それで私は聖書を読みました。ぱっと開いたところにこう書いてありました。「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」(ローマ12: 10)その時、ガーンときて、腹が立ちました。というのも私にとっては、妹を愛することなんて絶対にできないと思っていたからです。また聖書を読みました。「義を行わない者はだれも、神から出たものではありません。兄弟を愛さない者もそうです」(第1ヨハネ3:10)その後も4回も私に「兄弟を愛しなさい」と、同じことを聖書をとおして語られました。語られたこのことは私にとってはかなりきついことだと思いました。でも心の中では反省し、これからも努力しようと思っています。今日洗礼を受けて、これからも、イエスさまに従っていきたいなあと思っています。ありがとうございました。 |
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谷口あがさ姉は、松本冬曜兄と共に多くの教会の方々の見守る中でバプテスマを受けられました。姉妹は当教会の牧師、谷口洋一牧師の長女として先生と共にカルガリーに来られました。バプテスマを授けたのは牧師であり、また父でもある谷口牧師からでした。父が愛する娘にイエス様の名によって、バプテスマを授けると言う感動的な素晴らしい、主の栄光拝するひと時でした。
ハレルヤ!! 教会員紹介に戻る |
| NO,11 鈴木好子 Wei |
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【感謝します】 日々の生活の中で私たちはさまざまな問題に遭遇するものです。一つの問題を片付けたと思う間もなく、次の問題が起こります。私の家族が遭遇した問題を簡単に取り上げて述べることにより、何故今日私がこの壇上にいるのか、おわかりになると思います。 1997年から2000年にかけて、夫の転勤のため中近東に滞在しました。ある日、上司の奥さんが、実家で急用ができたため、一週間アメリカへ帰国することになりました。その奥さん、別名Bさんは、三人の子どもが下校した後のケアを私に託しました。早々にBさんは一週間分のTVディナーをフリーザーに買いためて出かけました。どの家庭においても、それぞれ異なった方針があることは、ご存知の通りです。Bさん宅では冷凍のTVディナーを平日5日間続けて食べることへの抵抗は、さほど無かったのかもしれませんが、私にはとても受け入れることができるものではありませんでした。従って私は我家の食事とともに、Bさんの家族の食事も善意のつもりで用意しました。もちろん、Bさんのご主人とお子さんは喜んで食べてくれました。また、子どもの宿題に私が目を通したことも、感謝してくれました。Bさんも帰ってくると、お礼の手みやげを持って、感謝してくれました。 ところが、日が経つにつれて、Bさんは私を避けるようになりました。更に、Bさんの子どもも我家の子どもにかかわらないようになりました。我家では皆、どうしてこうなったのだろうかと、戸惑いました。皆さんだったらどうしますか。我家では戸惑いが怒りとなり、衝突しました。子どもがBさんの子どもの悪口でも言ったのだろうと、勝手に憶測して、子どもにも八つ当たりしました。 更に困ったことに、北米から転勤して来た社員と家族は、ある一定の住居区に住み、ミニ社会を構成していたのです。従って、どこへ行っても毎日のようにBさんたちに出くわしました。夫は会社で、子どもは学校で、私は婦人会で、そして、もちろん、ご近所でといった具合でした。 この出来事から7年の歳月が経ちました。振り返って、Bさんの気持ちを考えてみることがあります。多分、Bさんは毎日食事を作ることに慣れてなかったのでしょう。にもかかわらず、Bさんのご主人と子どもは、Bさんに家庭料理をもっと作って欲しいと言ったかもしれません。それはあたかも主婦の劣等生という印象として、Bさんは受け取ったかもしれません。そうかといって、Bさんは自分のやり方を何も変えたくなかったのでしょう。Bさんの家庭の中でも不満なやり取りがあったかもしれません。そして、その不満を起こした張本人である私を暗黙のうちに責めることになったのだと思います。 恩を仇で返されたこの出来事を容易に忘れることはできません。しかし、私の感情とは裏腹に、聖書はどんな状況にあっても神に感謝しなさいと説いています。この御言葉から何を学んだらよいのでしょうか。私の意志と行動に焦点を当ててみるとたまに良いことをして有頂天になり、その部分だけを覚えています。しかし私は必ずしも他の人に対して善意を持ち、それをいつも行ってきたわけではありません。また、他の人に良いことをしてもらった時に、当たり前のこととして受け取り、礼を言わなかったことも数多くありました。私がしたことで後悔していることの例を挙げてみます。これもまた中近東にいた時に起こったことです。 子どもはそれぞれ小学校と中学校で外国語を選択することが卒業する条件でした。上の子のフランス語の先生は、ソルボンヌ大学で博士号を取得し、インターナショナル・スクールに赴任する以前は、大学で教鞭を執っていました。教育に熱心な筋金入りの先生でした。中学生といえども、流暢にフランス語が話せるようになる目標をかかげ、完璧主義者でした。従って、Y先生のクラスの学習基準は他の中学校のカリキュラムをはるかに上回る基準に見えました。そのため、些細なミスをおかしてもすべて0点となり、合格点に達する生徒は一人もいませんでした。生徒のみならず父兄もこの厳しい評価に閉口しました。私はY先生と何回か面談しましたが、先生に教育方針を変える意志はありませんでした。Y先生の好きな格言は「鉄の固まりをハンマーでずっと叩けば、細い針を作ることができる。」という言葉でした。 中近東での転勤生活が終わる頃、私はインターナショナル・スクールの理事にY先生の不公平な教育方針を通告しました。カルガリーに引っ越して来てからしばらくして、Y先生が首になったことを知りました。私一人がY先生の更迭に責任があるとは思いませんが、少なからずとも負い目を感じました。Y先生自身はよい先生だったかもしれません。ただ、適切な教育現場に当たらなかっただけかもしれません。このような苦々しい想いをしましたが、子どもも私も、大学レベルでY先生に出会えたら本当に良かったのにと思っています。 いずれにしても、私がY先生の生活に支障をきたしたことは確実です。私のせいで起こったこんなでき事は、氷山の一角にすぎません。というのは、私はいつも自分の都合のいいことだけを覚えておこうとするからです。言いかえれば、自分に都合の悪いことは簡単に忘れてしまうということです。 私の記憶にあることや忘れてしまったことの中で、他の人々にひき起こした支障やそれに伴う苦しみ等、すべてを許して頂くために、今日私はここにいます。同時に、辛い想い出を忘れることができれば幸いです。 こうして、子どもの一人はヒューストンで、残りの私たち家族はカルガリーで生活していられるのは、ひとえに神様の導きがあったからこそです。神様に感謝します。この数十年、私たちを病や、事故、天然災害やテロから守って下さり、また夫の仕事も与えて下さったこと等々を感謝します。 イエス様は天の神から人間の姿として地上に送られた一人子です。そして、ご自分の死によって、こうして私の罪をも許して下さる救い主です。多くのクリスチャンの方々が私をイエス様へと導いて下さいました。その方々にも感謝したく思います。子どもの保育園の先生ミス・ジョアンに始まり、カリフォルニアの妙子さんと玉子さん、VIP聖書研究会のホスト小森さんとそこに集うメンバーの方々、そして榊原先生ご夫妻、谷口先生ご夫妻にとどまることなく、他の皆様にも感謝します。 神の恵みが私たち一人びとりに注がれますように。イエス様の御名を通してお祈りいたします。アーメン。 2005年11月27日 鈴木 好子・Wei |
| NO,12 平野三友紀 |
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【私は決心しました。】 私がこの教会に来るようになったきっかけは、岸先生の子育てについての講演会からで、橋本よし子さんから日本語学校で受け取った1枚のビラが始まりでした。よし子さんとは、顔見知りでしたが、あいさつをする程度であまり話をしたことがありませんでした。今思うと神様がよし子さんを通じて私をこの教会に導いてくださったのだと信じています。 2002年の5月に日本から移民して来ました。主人がカルガリー出身だったので、ここに越してきたのですが、それから3年経ちますが、ここの教会のことはちらっとカルガリーウォーカーの紙面で見たことがあるような、ないような感じで、全然知りませんでした。 以前、エホバの証人の人達と1年ほどバイブルスタディーをしたことがありました。でもそこでは、「やれ、何とかは禁止。」「こういうことはダメ!」「それもダメ、これもダメ!」「何曜日は何とか会だからきてください。」とか半強制的になってきていやになってお断りしました。それでも最後まで「あなたのご主人か、親戚の人達が反対するから止めるのか?」としつこく迫られました。そんな事があって、もう宗教はこりごりだ!と思って数年が経ちました。 最初によし子さんが誘ってくださったのは、シャロンの会で「人生の目的について学ぶ会でおもしろいよ!」と言われて行くことにしました。もともと自己啓発関係の本を読むのが好きだったので、参加しました。でもいきなり賛美から始まったので内心(あー、またやってしまった・・・。)と思いました。でもみんなで朗読して自由に意見を交わしてお茶を飲んで楽しく終わったので、2,3回と行くようになりました。その中で自分の心の中にあった悩み事や問題がふつふつと湧き上がってきて、いろいろ話しているうちに涙が出てくる時もありました。 そんな時、よし子さんが岸先生の講演会に誘ってくださったのです。問題の大半が子育てについてだったので、即決で行くことにしました。 岸先生のお話はユーモアがあって、ためになって、そしてまた笑いがあって、牧師さんがこんなに面白くて、教会でこんなにお腹を抱えて笑うとは、かなりキリスト教へのイメージが覆されました。そして翌週から教会に来るようになりました。それでも1番南の果てのコミュニティーに住んでいるのでたまに気の乗らない日曜日もあって、何かと理由をつけては行かないときもありました。 そこで、(これは家族のためにも教会に通い続けなくては!)と思いました。そんな時、今度は丹さんが「みゆきさん、賛美チームに入らない?」と誘ってくださったのです。私は(そうだ、賛美チームに入っていれば絶対教会に行かなくてはいけないから、もう言い訳はできないぞ。)と思い、入れていただくことにしました。20歳の頃は、バイト仲間とよく朝までカラオケをして、マイクを離さなかったくらい歌うのが好きだったので、数年ぶりにまた歌えることになってうれしく思いました。でも、その後すぐ(クリスチャンではない私が皆さんの前で賛美を歌うなんて失礼じゃないか・・・。)と思い始めました。 そして7月。サニーサイドキャンプに参加しました。当初の目的は、断乳することと、下の子が生まれて以来、お兄ちゃんと2人だけでゆっくり過ごすことがなかったので、いい経験になると思い、参加しました。その時点では、全くクリスチャンになろうとは思っていませんでした。 でも、みんなの生き生きした表情や,自分から率先して仕事をする態度を見たり、これまた面白おかしく、でもためになり、涙することもある中野先生のお話を聞いているうちに、自分も神様を信じたくなりました。でも、やはり心の奥底には、半信半疑な気持ちや、過去の経験から100%素直に「はい、信じます!」とはなかなかいえませんでした。 そんな時、太田ゆみさんが、「どう、みゆきさん。神様のことについてどう思う?」とわざわざ話に来てくださって、いろいろ話しているうちに少しずつ自分の中で準備ができてきました。 そして3日目の早天祈祷会の時、谷口みゆきさんがイエス様を受け入れるお祈りを一緒にしてくださいました。その時はうれしかったのと、自分の中にあった重荷が降ろされたようで、ワンワン泣きました。 そしてやっと本当の意味で、今つけているこのクロスのペンダントをつけることができました。 今も毎日いろいろなことが起こりますが、神様はそんな一つ一つを用いて私達をさらに成長させてくださる。そして、神様は罰を与える方ではなく、愛の神様なんだということを知れたことが、とてもうれしく、そしてまた心強く思います。 まだまだ未熟ですが、これからもどんどん神様のことを知って生きたいので、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。 神様の存在を知ることができたことを感謝して、イエス様の尊き御名においてお祈りいたします。アーメン。 教会員紹介に戻る
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| NO13、仁美 Brouillard |
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【ありがとう! ジェイク】 私は、カルガリーに6年半ほど留学していました、実は、留学一年目にこの教会に何回か来ていた事もありました。友達に、日本食が食べられるよ、と誘われたのがきっかけでしたが、本当に数回通っただけで、教会から足が遠のいてしまいました。 私は、今まで本当にキリスト教とは縁のない環境で育ってきました。父も母も無宗教ですし、おじいちゃんおばあちゃんっ子だった私は、どちらかというといつもおばあちゃんと一緒に木魚を叩いて仏壇に手を合わせるような子でした。自家もお寺の目の前にあり、お寺が遊び場所で、本当に小さい頃はよくお寺のお坊さんに叱られた思い出があります。そんな私が、なぜクリスチャンにと思われるでしょう。 夫のジェイクとは、カルガリーで出会い3年半ほど付き合い今月結婚しました。実は、私がカレッジを卒業してカルガリーで就職活動をしている最中に、大好きなおじいちゃんが入院しました。それを機に私は日本に帰り、ジェイクとは結婚するまでの1年半遠距離恋愛でした。 その離れていた一年半の間にお互い本当に色々な事がありました。ジェイクは、神様の教えの元に戻り、この一年半で別人のようになりました。私は、日本で自分の持病が発覚したり、大好きなおじいちゃんがなくなったりと辛い事ばかりでした。精神的にとても弱い私は、毎日ストレスで、母まで一緒に毎日泣いているような日々でした。そんな時ジェイクに聖書を読むように進められ、言われるまま新約聖書の訳された本を買い、読み始めました。本当に落ち込んでいた私が、たまたま開いたページに、『あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』とありました。それを読んで、本当に救われました。落ち込むたびにその言葉を思い出して、今日は今日の分だけせいいっぱい生きよう。明日になったらきっと気分も変わる。と自分に言い聞かせてきました。 聖書を日本で読み始めて、色んなことに気づきました。落ち込んでいる私に、友達が『これ読むと元気出るから!』と貸してくれた本が、聖書の教えが入っている本だったり、目を向ければ自分の周りには、自分を助けてくれようとするサインがたくさんあることに気が付きました。それでも、私は自分が感じている自分の周りのサインが、イエス様からの物なのか分かりませんでした。 イエス様を信じクリスチャンになろうと思ったのは、夫、ジェイクの劇的変化を目のあたりにしてです。離れていた1年半の間、会うたびにジェイクは変わっていました。毎日、アル中かと思うぐらい飲んでいたお酒もやめ、行動にも責任があり、何よりも他人に対する態度と言葉使いが本当に変わっていました。私がどれだけ言っても変わらなかったジェイクを変えてくださったのは、神であり、イエス様です。 太田姉妹と兄弟の暖かい助けがあり、私はイエス様を私の救い主と信じようと誓いました。今は、ジェイクの成長ぶりと自分の成長を比べてしまい落ち込む事も多い日々ですが、人と比べるのではなく、神様に目を向け自分のペースで成長していきたいと考えています。 |
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| NO14,拵 望 |
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イエス様との出会い 拵望 僕は、まぁ、半分クリスチャンの家庭で生きてきました。母がクリスチャンで、父が無神論者で、兄弟はというと、教会へは正直遊びに行っていたと思います。子供のころの出来事は、あまり覚えていませんけど、母に教会へ何回か連れてかれたことを覚えています。僕もまだ子供でしたし、ただ走り回って遊びたかっただけです。もちろん母は、「座って説教を聴きなさい!!」と言いました。でも僕は、信じもしない、アホくさいこと聞いてられるかと思いながら聞きました。 また、僕の友達のほとんどは、無神論者です。でも一人だけクリスチャンの友達がいました。神を信じない思いは、6年生の時に強まりました。そのたったひとりクリスチャンの友達が、クリスチャンだからという理由で、いじめられたからです。そして僕もいじめられ始めました。しかし、誰にも助けてもらえませんでした。それでも、一年後いじめは、自然になくなっていきました。 この事をサニーサイドキャンプでマサオ君とほか数人に話したら、みんな僕のために祈ってくれました。その時、そこで、なんだかすっごい、心地いい感じがしました。それは神さまがいらっしゃるという存在感でした。平安を感じました。僕は、その感じ、つまり、神の存在感をもっと知りたいと思っています。もっと深くイエス・キリストを知りたいです。 「わたしは道であり、真理であり。命である。 わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」ヨハネ14章6節 イエス様が言われたこの道に従って、僕も歩んでいきたいと思ってます。 |
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| NO15,桑野由起子 |
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| 「2008年2月3日洗礼を受けました。」 私が聖書と出会ったきっかけは、前回カルガリーに来ていた去年の3月のことでした。ルームメイトのリサが、私に英和対訳の新約聖書をプレゼントしてくれ、折に触れて教会に連れて行ってくれていました。でもその頃の私は、教会でお話しを聞くのも、「英語の勉強のために・・・」程度の心積もりで、自分のこととしての実感は何もなく、いうなれば観光気分でカナダの教会を覗いているだけでした。 2度目にカルガリーに来たとき、私は当時お付き合いをしていた男性がいて、結婚の話を進めるために来ていたのに、来る早々その話が壊れてしまったのです。日本での仕事も全て片付けて、大きな覚悟をしてカナダにやってきた私としては、突然、何のためにやってきたのか、目的を失いました。 日本に帰らなければならない理由もなく、また、去年の夏に日本で病気をして以来いつも「自分の居場所はどこなんだろう・・・?」という疑問を持っており、行く場所もなく、必要とされる場もない、ものすごく大きな喪失感・無力感に苦しんでいたのです。 そんなときに、リサが、「この本読んでみない?」とThe Purpose Driven Life(和書名:人生を導く5つの目的)という本を紹介してくれました。私が「人生の目的は?」と思っていた矢先の事だったので、あまりのグッドタイミングに驚きました。リサはそれから毎晩1時間ずつ時間をやりくりして、本の内容を教えてくれ、二人でバイブルスタディの時間を設けてきました。そこで会った「私たちは神さまの目的のために生きている」とい |