教会員紹介


教会員の方々の感動的な体験談を是非お読み下さい。

NO,3 初鹿里江 素晴らしい体験
NO,4 増田美保 イースター礼拝 洗礼式
NO,5 長谷川勝三 家内の一周忌を迎えて
NO,6 青木忠彦 主に触れられて 感動
NO,7 塚本信人 孤独と不安からの解放
NO,8 佐藤 修 イエス様を信じた理由
NO,9 宮野満由 涙の洗礼式
NO,10 谷口あがさ 洗礼の証し
NO,11 鈴木好子 感謝します!
NO,12 平野三友紀 私は決心しました!
NO,13 仁美Brouillard ありがとう! ジェイク
NO14 拵 望 イエス様との出会い
NO15 桑野由起子 洗礼を受けました!

NO,3 初鹿里江
素晴らしい体験をしました。感謝でいっぱいです!
 
私はなんと30歳を迎えました。この30年間を思い返してみると、よく人をうらやんだり、なんでうまく行かないんだろうかと悩んだりすることが多かったように思います。それに、イエス・キリストを信じた後も、私の生活は特に以前とは変らず、仕事でもうまくいかず、人間関係もうまくいかず、神様どういう事?と思ってばかりいました。なぜならば、イエス・キリストに出会う前も出会った後も、自分のうちにある願いをどのように神様に現したらいいかわからなかったからだと思います。
 
1ヶ月程前私は主が用意してくださったと 言わずにはいられない経験をしました。ある土曜日の夜突然、将来に対する不安が襲ってきました。何も見えてこない私の未来、これだったら死んだ方がましなんじゃないかと思ったんですね。私は、未来への不安と死への望みから眠れなくなり、いつのまにか聖書を胸に抱いて祈っていました.

「神様、どうか、このまま、未来への不安の中で生きていくのならば、私を天国に迎えてください。神様にこの命を委ねていますから、どうか天国に迎えてください。」眠れない夜が過ぎ、そのまま教会に行っていました。その後、教会の方達と昼食にでかけたそのレストランの駐車場で、何とブレーキが効かなくなっているのに気付いたのです。もちろん、パニックになりました。しかし、主は備えてくださっているんですね。そのレストランの2ブロック先にはブレーキショップがあったので無事ブレーキを直してもらえました。

  どうでしょう?私なりの勝手な解釈かもしれませんが、この経験は主の愛と御業を現してくださっているのだと思えないでしょうか?というのも、ブレーキが効かないことが分かったのは、運転中ではなくて大きな事故にもならなかったのです。主は委ねた命をおとりにはなりませんでした、そしてその10日後には仕事が決ったのです。
 
  私は、この経験を通して、
1) 自分の内に生まれた願いは強く真剣に主に祈るという事.

2) 試練が与えられる事もあるかもしれないけれども、主の御業が現われるまで待つ事をもしなければい   け ない!
この2つの事を教えて下さった様に思います。今後何度も死にたいと思う経験があるかもしれないけれど、私にはイエス・キリストが側にいて下さることを思い、いつまでも心に平安を備えていようと思います。
この世にイエス様を与えてくださった主に本当に感謝です。
 
 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであれ、求めるモノは受け、探すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。
(マタイ 7章7節〜8節)                           教会員紹介に戻る



NO、4 増田 美保

2003年4月20日 イースター礼拝 洗礼式

私の家族がカナダに移民してきた頃から、キリスト教は 私にも馴染み深いものでした。 サニーサイドキャンプ、エドモントン日系教会などで習いました。 しかし、聖書をすべて信じるのは簡単ではありませんでした。伝説かおとぎ話だと思っていました。うちの家族は母子家庭のようなものでした。日本にいる生みの父の事は覚えていないし、育ての父との仲は ギクシャクしていました。 四人兄弟なので、私は 親に認めてもらいたい気持ちが強く、自己アピールばかりだった気がします。

二人目の父親も私達を離れていき、私は母を支えて、自分は強くならなければいけないと がんばっていましたが、その反面、もう人の助けはいらなく感じてきました。 クリスチャンの人々はとっても立派で私には真似できそうにありませんでした。大学三年目の夏、私はバンフで働き、主人に会いました。 そして、自立して見せようと言う気があったため、エドモントンに戻りませんでした。 

それから、約四ヵ月後、私の中に新しい命が生まれた事に気がつきました。神様は私達のそばにいて下さいました。移民ビザ、仕事などあらゆる面で私達三人を支えて下さいました。

そして、95年に弟を亡くしました。久哉は明るくいつもニコニコしていました。いろいろな事に興味を持ち、積極的でした。私は最初、彼の洗礼式には出ないつもりでした。すると、弟の久哉が 「僕の一番大事な日なのに、どうして来てくれないの?」と、電話して来たので、出席しました。行かなかったら、一生後悔したかもしれません。久は 洗礼されてから すぐに天国へ行ってしまったからです。 この後、私はいろいろと考えさせられました。戻って来てからバンフパーク教会に通いだしました。弟が 私がクリスチャンになるのを強く願ったからです。バンフでの私は孤独でした。カルガリー市に越して 新しくやり直したいと祈り続け、97年にはその願いも可能となりました。私は、まだ主を受け入れられませんでした。 娘が生まれてから 一年半もの間、私の腕で泣き叫ぶ子は 私の罰だと思っていました。私を必要な母と兄弟を残して 自分勝手なことを続けたから。 でも、面倒見のいいしっかり者のお姉ちゃんの役はウンザリしていました。

2000年の9月にリンダ ダークス夫人と バイブルスタデイを始めました。その二カ月後、夫人が 
「神様を信じますか?」聞かれた時 

「はい、イエス様、私を救ってください。」と私は言いました。

その日から、2年余り過ぎました。私の生活そのものにはあまり変化はありませんでした。けれども、心の中で変わった事は たくさんあります。

* ブルーな時より、ハッピーなときが多くなった事。
 子供と過ごすのが 楽しくなった。
 息子が おしゃべりがうまくないのを気にしなくなった。
 主人が不機嫌でも気にしないようになった。
 いろんなことに対して感謝できるようになった。
 神様が私を受け止めて下さった様に私も家族や周りの人をありのまま受け止める事ができまし    た。

主の恵みには限りがありません。私を愛してくださった主にこの身を任せたいと思います。

第1ヨハネ4:15−16
だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、
神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また
信じています。 神は愛です。愛のうちにいる者は
神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

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NO、5 長谷川勝三

家内の一周忌を迎えて

長谷川姉はイエス様を讃える賛美が大好きで、いつもイエス様の愛に感動し病を持っている弱さにもかかわらず、イエス様が家庭を愛し、自分を愛し、愛する夫を愛していて下さっている事を体一杯で受け止め、心から心から溢れる感謝を持って、賛美をされていました。感謝のゆえに涙が溢れ賛美が出来ない事も多くありました。


去年この日に、家内を天に送って早一年となりました。
その前後の日々をこうして振り返って家内長谷川かほるへの追悼をしたいと思います。
愛する妻は白血病という病と戦いながら骨髄移植という最後の望みにかけた日々家内にとっては主によって必ずこの移植は成功して元気な身体となるという確信に満ちた思いで挑んだものですが、家族の私達にとってはそう心より願いつつも日々悲壮なる思いで家内を見守り、結果的にいつまでも決して忘れることの出来ない悲しい想い出として思い返されます。
しかし、その大変なる闘病の苦しみの中で、信仰の試練の中で、家内はイエス様より与えられた信仰に固く立って希望と平安に満たされて残された一日一日を大切に生きようと周りの多くの人々に証ししつづけました。
家内のこの頃の様子は涙を持ってしか語ることはできません。
また、背後にて家内を支えていたイエス様を抜きにして語ることはできません。
移植された、他人の抗体が家内の体内で拒まれ続け、そのために起るもろもろの家内の身体に生じる拒否反応は医学の知識の乏しい私にとって想像を絶する出来事ばかりでただ、うろたえるばかりでした。
頼みとする病院の担当医も次々に対処する治療にも行き詰まり、その時の家族にできることは教会の皆様と主にイエス様にすがってその癒しを祈るのみでした。このカルガリーより遠く、トロント、バンクーバー、エドモントン、レスブリッジとその祈りの輪が24時間祈祷として広がり、そしてその中で主がなされた奇跡としかいいようのないひとつひとつの癒しの業、私にとって、又、家内にとっても実体験としてイエス様の御愛に触れることができました。入院中の後半は拒否反応が眼球に出て、角膜がおかされて目が見えなくなってしまいました。
その時の私の我を忘れたうろたえ振りは今でも決して忘れることができません。主に祈り励まされて翌日より会社の仕事の後、家内の病室にて聖書の御言葉を呼んであげることが日課となるのです。
テキストは現在サスカッチュワンの神学校で学ばれている秋山先生がお送りくださったもので師のお父様が祈りの花束という名で出版された御言葉の小冊子で一日一章(冊子の)をまず、私がゆっくりと読み上げて、家内がその御言葉にて力を与えられ、二人で主に感謝のお祈りをするそんな日々が続きました。
ある晩のことです。二人でいつものように祈り合った後に家内がぽつりと甘えるようにこういうのです。
「私が癒されていつか退院することができたら、お父ちゃん一番最初にして欲しいことがあるよ。」
あっと驚いて
「なんや急に。。。それは何?」と尋ねると
「お父ちゃんと二人で日本へ行って温泉巡りの旅がしたい。」というのです。
「なんやそんな事、退院したらすぐにでも連れていってやるぞ。」
と家内に約束したことが、ついに実現することにならず、天国に送ってしまうことになってしまったのです。教会の皆様に慕われ、そして何よりも最後のその瞬間の時までも家内の側にいて病と戦ってくださったイエス様。その主に愛されて育まれた家内の幸せな日々と二重写しとなった思い出をかみ締めて、いま、妻に送ります。
「私の心の中にいつまでも永遠に生き続けていて欲しい。」と
「お父ちゃん、早く私の傍においでよ。」
と誘いのコールが聞こえてくるような気がする今日この頃ですが、もう少し、この世の時間の中での未練も多々あるので、しばしの間、私の信仰がしっかりと地に立って歩けるようにイエス様と二人で天国より見守っていて欲しいと思うのです。

「お祈りします。」                   教会員紹介に戻る




NO、6 青木忠彦

<教会にくるまでの自分>

私は昭和17年生まれで、今日でちょうど61歳になります。私は佐賀県の小さな村で生まれました。そして、8歳のときに福岡県久留米市に移り18歳までそこで育ちました。

 生まれつき体が大きかったので父親と兄から柔道をやるように進められ、中学一年の時に無理やり柔道をやらされました。それ以来、柔道とは一生の付き合いになりました。高校一年のとき黒帯(初段)になり高校3年の時に、全国大会で優勝を遂げました。それから、明治大学に入学が決定し入学する予定でしたが、私はどうしても当時ブラジルへ行きたくて仕方がなかったため、親の反対を押し切って大学へ行くために乗った汽車から途中下車をして姿をくらまして・・・、つまり、ブラジルへ行くために家出をしたのです。

したがって、結果的に一年浪人をし、翌年、日本大学に入学しました。日大の柔道部に入部し卒業するまで毎日が柔道、柔道の明け暮れでした。大学時代に柔道を通じて友達になった日系カナダ人のスポンサーでカナダに移民することになり、カナダに移民したのが、1966年9月18日でした。言葉も習慣も違うカナダは私みたいな学校で勉強していない者にとっては大変な苦労でした。 当時、(37年前)は日本人も少なかったのです。私は柔道だけしか知らない24歳の若者でした。色々な恥、また数多くの失敗を経験し、自分なりに頑張ってきました。

現在、私には二人の息子と一人の娘がいます。長男と娘はすでに結婚をし、それぞれ家庭をもち子供もいます。(計:孫5人です)。次男のスペンサーは現在、行方不明です。行方不明になってもう1年と4ヶ月が経過しました。まだ消息が知れません。大変心配です。私自身、2回結婚をしております。今は英国人の妻とは約10年別居中です。

 

<教会に来るようになった理由>

私は約2年前にカルガリーに来ました。カルガリーにきた理由は色々ありますが・・・。私はトロントに3年、バンクーバーに22年ほど住んでいました。カルガリーに来る前は日本に約8年間ゴルフ場経営の為に住んでいました。日本経済のバブルがはじけ、カナダに体一つで3年前に日本から帰ってきました。そして、2年前にカルガリーに来て、現在は車の販売をしています。教会に来るようになった理由は日本人に会いたくなったことと、それに教会に行って日本人に会えば車を買ってくれる人がきっといるに違いないと思ったのです。大変、失礼な話しですが、始めからキリスト教を信じようとか、またキリスト教にそんなに興味があった訳ではありませんでした。 でも、何度となく教会を訪れるうちに、そして、教会に来る人達と会い、話しをするうちに何となく気持ちが変わってきました。そして、一年前に私の息子のスペンサーが麻薬がらみで行方不明になってしまいました。その時、私は思ったのです。

スペンサーがあやまちを犯し行方不明になったのは、私にも充分責任があり、落ち度があったからだと思いました。 キリスト様にお祈りすればもしかして・・・という気持ちになったのです。 そして、教会に来ると何となく気がいやされ楽に」なるような気にもしたし、教会の人達もとても歓迎してくれたのです。そういう訳で教会にくるようになりました。


<信じるようになった理由>

アーサー・ホランド先生のメッセージも私の心にイエス・キリストのイメージがかなり強く残りました。アーサー先生が柔道家であったこと、また。彼の尊敬する柔道の先生が、たまたま、私が大学時代によく練習をした同輩であったことも大きく影響したと思います。そして、今回、佐藤彰先生の素晴しいメッセージを2度、3度と聞くうちに私の心は完全にキリスト教を受け入れる用意が出来たのです。

イエス・キリストに対して私の閉じていた心の扉を開けることができたのは、佐藤先生が、佐藤兄の家で私の行方不明の次男のスペンサーのために私の手を取ってお祈りをしてくださった時です。その時、私は自分の罪を悔い改めて、イエス・キリスト様を私の心にお受けしよう、そして、これからイエス様と一緒に歩いていこうと、私は決心しました。そうすれば、きっとイエス様が私を良い方向に導いてくださると信じるようになったのです。

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NO、7 塚本信人

証です

塚本信人25歳。 今はダウンタウンで英語の勉強をしています。 カルガリーにくる前は、エドモントンに5ヶ月ほどおりました。 教会に通うようになったきっかけは、エドモントンにまだいるころ、 同じ学校の友人が教会でうどんが食べれるということで招いてくれたのが始まりで す。 それ以来何度か教会に誘われるようになり、敵チームではありますが、ソフトボール 大会にも参加していました。そして、カルガリーの学校に通うことになったとき、 ホームステイ先も紹介していただきました。 それがMr.Itouのお宅でした。エドモン トンで教会に通うようになってから、教会にとても好感を持っていたので、 カルガリーでも通ってみることにしました。

イエスキリストを救い主としたわけ

イエスキリストを救い主とし、神様を信じるようになったわけは、大きな孤独、将来への不安からでした、そして、勉強にも集中することができなくなっていた頃、教会に佐藤先生がいらっしゃいました。本当に先生のお話はすべて感動するものでした。その中でも、ゆだねる信仰というものが私の心に大きく影響いたしました。この不安や悩みをゆだねることによってどうにかできないものかと思いました。そしてまだクリスチャンでもなかった私が、そこで、イエスキリストにそして神様に一心に祈り、ゆだねてみたのです。すると、実際うそのように心が軽くなり、寝付けなかったのが、熟睡できるようになりました。このことを佐藤先生に話したところ、「もうイエスキリスト、神様を信じ、受け入れたのなら、もうあなたはクリスチャンですよ。」と言われ、トン、と背中を押されたような気持ちで、あまり実感のないままクリスチャンになりました。クリスチャンになってから、前の自分とは外見は異なりませんが、心の中はとっても変わったように思います。いつもくよくよすることなく、悩みはゆだね、苦しみを試練だと思うようになったからです。しかし、自我が出てしまい、他の人にはご迷惑をかけることもしばしばです。でもそこで少し考えると、佐藤先生のこんな言葉を思い出します。「私は信仰で行きます。」佐藤先生がルツ記を説明されている際、ルツがどんな苦難にも負けず、己の自我というものを捨て、血のつながりのない母と伴に私は信仰で行くといったところのように記憶しています。このことで、これ以降すべて心の悩みがなくなったわけではありません。一ヶ月くらい前に、ビザの申請がうまくいかず、悩み、もう帰ろうかとも思っていた頃、たまたま以前のホストマザーであります、ハッピさんからいただいていたデイリーブレッドのお試し版を見つけ、またさらに、学校の通学途中に読もうとたまたま持っていくことにしたのです。そこにはそんなことが書かれていました。人間は上り坂を登る際、実際よりも傾斜角度を大きく考えてしまう傾向がある。たとえば5度の角度を上っていればそれを15度や20度に誤解してしまうと。人は悩みも同じように誤解をするようです。自分が受けている苦難を2倍3倍にも考え自ら複雑にしてしまうものだとそこにはかかれてありました。そして、イザヤ40章の28節から31節を引用し、私を励ましてくれました。(イザヤ書4028節〜31節朗読) このことはそのときの私にとって大きな救いとなりました。そして神様はいつも適切な助けを私に与えてくださるということを知りました。最後に、ベンソンさんの家であったすばらしいエピソードを話したいと思います。約2ヶ月前にベンソンさんの家でお世話になっていますが、その当初はよく子供たちと一緒に遊んで今いした。ある日、ベースメントを真っ暗にしてかくれんぼをしていると、末っ子のティミーが「怖いよー(I'm scared)」と言いました。そのときにお兄ちゃんのカロルが「イエス様がいつもいっしょだから怖がることはないよ(Don't be afraid,Jesus Christ always with you)と言いました。私はそのときとても感動を覚えました。まだ小学校低学年の子がこんな言葉で人を励ますことができるものなんだと。もし自分がカロルの立場だったらそのようなことはいえなかったと思います。これから洗礼を受け主にあって真のクリスチャンになりますが、少しずつでも聖書を勉強し、イエスキリストに近づき、彼のように神様の栄光を表す言葉で人を励ますことが出来たらと思います。

以上です。

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NO、8  佐藤 修

2004年3月14日 洗礼式
洗礼式後梶原先生ご夫妻、又多くの方々より祝福を受け、お祝いのケーキを頂き楽しい一時を持ちました。梶原先生ご夫妻はビクトリア日系人教会にて牧師としご奉仕され、3月中旬にビクトリアに行く事予定ですが、佐藤 修さんを信仰へと導いた先生とし、洗礼にかけつけて下さいました。素晴らしい洗礼式でした。
ハレルヤ!

おはようございます。佐藤修、カナダに来て2年半になります。今はSAITで電気通信の勉強をしています。

なぜ僕がクリスチャンになろうと思ったのか?

10年くらい前ですかオートバイの事故で九死に一生を得て、其の直後にちょっと不思議な経験をして、それからイエスキリストってなんだろう?Christianityってなんだろうって思うようになり、その当時に出版された小説聖書、新約と旧約編を読んで、なんて面白い本なんだろうと。けれどもそんなナンセンスな事なんか在る訳があるもんか、ただの誰が書いたか分からない証拠の無い文献なんか誰が信用するかっていつも思ってました。

それから何年か過ぎカナダのバンクーバーで勉強をする事に決め、どうせカナダに来たのだからChristianityも勉強をしようと決めました。始めはイエローページなどで日本人教会やら色々と電話をしたりしてたんですが、どれが僕にとっていい教会なのか皆目検討もつかず諦めて、それにあまりの勉強の忙しさに時間が無くChristianityの勉強はせず、ただ時間が過ぎて行きました。

訳あってバンクーバーの大学を止め、カルガリーのSAITに入る事になりました。ここでは時間に多少のゆとりが出来、毎週日曜の教会のESLに通うようになり、そこでMaryさんに会い、そこからが僕のクリスチャンになるターニングポイントではないかと思っています。Maryさんのお陰で梶原先生、けいこ先生にも会い、色々な人々に助けられ、ただ単純にクリスチャンの人達ってなんていい人なんだろうと思い始めました。

それでまたもう一度真剣に勉強してみようと。それで僕は段々と、Christianityを自然に受け入れている自分を感じ、けいこ先生にお願いして毎週の金曜日に勉強会を始めて貰いました。同時に梶原先生に三浦綾子さんの旧約と新約聖書入門は構成が良いからと勧められ読んだんです。其の本がなんと分かりやすく書かれている事か。それでよし俺もクリスチャンになろうと思って2月の6日にけいこ先生と供に宣誓をしました。

まだまだ沢山疑問や分からない点があります。しかしイエスキリストを私の救い主として決めて、主の御言葉の主は私達の為に命を捨てて下さった。それにより私達は愛を知ったを心に留め信仰してたいと思います。

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NO、9  宮野満由

2004年4月11日イースター礼拝の時ユースグループ(フーカス)が特別賛美をして下さいました。英語部のユースの方も加わり素晴らしいハーモニーを聞かせて頂きました。同時に宮野満由さんへの洗礼感謝賛美ともなり感動的でした。左から4人目が宮野満由さんです。洗礼式に語られた内容が下に載せてあります。是非お読み下さい。

私が Christianになったのは、特に大きな事件とか、この間洗礼を受けられた佐藤修君のように、死んでもおかしくない事故にあったのに、軽い傷ですんだとか、そんなミラクルな事がきっかけになったわけではありません。私がChristianになったのは、神様がずっと呼びかけて下さっていたのに気付いて、それを受け入れただけなのです。

思い出せる内で一番古い神からの呼びかけは小学校低学年の頃ので、ある道徳の時間に先生が皆を図書室へ連れて行ってくれた時だと思います。 そこで、私達は好きな本を読む時間を与えられたのですが、私は何を思ったのか、イエス様の一生を幼児用に簡単に説明してる本を手に取り読み始めたのです。

その頃の私は神やイエス様の事はまったく知らなくて、クリスマスでさえ,ただ子供がプレゼントをもらえるSpecialな日としか思っていませんでした。しかも周りChristianが一人も居なかった為、イエス様のお話を聞く事もできず、イエス様に興味を持つ確率なんて無いハズなのですが、私は何かに引かれるようにして、その本に手を伸ばしたのです。今思うとあれはきっと神様からのコンタクトに私が初めて気付いた時だったと思います。だからと言って、幼かった私にはそれ以上どうする事も出来なくて、ただイエス様は「興味のある存在」として心に残っただけでした。

そして、実家の近くに幸い教会があり、クリスマスの時期には出席させて頂いたり、キリスト教系の高校に行ってる友達が居た事も影響して、時々教会へ行く機会があったりもしてました。

そして数年後、私はNew ZealandChrist Churchと言う所へ留学する事になり、又そこでイエス様にお会いする事が出来たのです。 しかも今度はきちんと教会へ行く事も出来、そこで本格的なBible Studyにも参加させて頂く事が出来たのです そしてそこで初めて三浦綾子さんの「塩狩峠」を見せて頂いて、友の為に命を捨てられる人が居る事にShockを受け、その事に付いても深く考えるようになりました。 今でもあの映画は私の心に刻まれ、深く考えさせられます。

しかし、岩の上に落ちてしまったらしい私の信仰は、根をしっかり張る事が出来ずにすぐに枯れてしまい、それから又暫く聖書に触れる機会はありませんでした そうしてカナダへの留学がきまり、色々な家を転々と移り住み、大して面白くもない生活を過ごしていました。ですが、引っ越し6件目の家で出会ったCanadianのママがChristianで、その頃学校へも行かず、暇そうにしてた私を火曜日の午前中にやってたBible Studyへ誘って下さったのです。 そして初めは面倒くさがってた私の心も、だんだんとイエス様の元へ戻り、日曜礼拝にも出るようになり、Choirにも参加させて頂き、Cross Bibleも手にして、一年経つ頃にはすっかり信仰も深くなり、楽しい毎日を送っていました。 しかし、残念な事にその家を出る事になってしまい、同時に教会へバスで行く事が面倒になり、行かなくなってしまいました。 そしてその頃より、神への信仰も薄れ、疑いの心も出てきて、神が居るかどうかさえ疑問に思うようになってしまったのです。 その頃、精神的にも不安定だった事も手伝って、教会へ行かねば、と思い立ち、このJapanese GospesChurchに行っていると言ってた友人の初鹿りえさんが居たので、彼女に連絡を取り、一緒に連れて行ってもらう事にしたのです。

こうして書くと私は本当にキリスト教に関わる事が数多くあり、神様が一生懸命私を呼んで下さってたんだなぁと思わされます。 そして個人的にBible Studyしてもらっていた梶原恵子先生の教えにより救われる事が出来ました。今日こうしてここでバプティズムを受ける事が出来る事を光栄に思います。私はまだまだChristianとしては生まれたばかりの赤ちゃんで、知らない事や未熟な事が多々ありますが、イエス様をただ一人の救い主とし、彼が用意して下さってる私の道を信じて、彼が私の事をProudに思って下さるよう、日々イエス様からの御言葉を読み、聞き、そして感じて成長して行きたいと思っております。今はまだ酷い体罰を受け十字架に架かっているイエス様を泣いて見守る事しか出来ない、一緒に十字架に架かる勇気はないちっぽけな信仰しか持っていませんが、いつかきっと神様の為、イエス様の為、そして愛する人達の為に命を捨てる事が出来る程の愛を持って生きて行きたいです。

2月24日に私が救われるきっかけとなった御言葉、「人がその友の為に自分の命を捨てる事、これよりも大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15・13)を心の糧にこれからのChristian Lifeをイエス様と供に歩いて行きます。


満由姉!洗礼を受ける事が出来て感謝ですね、教会の方々も満由姉のイエス様を信じた証しを聞きながら涙を流されていましたよ!それは満由姉が同じように神様に心から感謝し涙していたからです。教会内で大きな喜びがありましたが、それ以上イエス様は満由姉の洗礼を「すごく すごく」喜んで下さったことでしょう。十字架にかかり愛して下さったイエス様だから!!ハレルヤ!!
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NO、10 谷口あがさ

洗礼の証し


                                 谷口あがさ

 私はクリスチャンホームで生まれ育ちました。それで小さい頃から教会に行っていました。でも、神様を礼拝しに行っていたわけではありません。友達と遊ぶために行っていました。

 中学2年の時、いじめに会いました。その時、両親や教会の人に祈ってもらいました。しかし、いじめはひどくなっていくばかりでした。そのような中、私はこんなひどいいじめは絶対に解決することはないと思いました。でも、何ヶ月か経ったあと、そのいじめは奇跡的に解決しました。いじめていた子たちが、私にあやまってくれました。私は初めて神様が私の祈りを聞いてくださり、解決してくださったことを知りました。これは神様だけしかできないことでした。それで私はイエスさまを受け入れようと思いました。

 それからも私は、生きて働かれるイエス様を体験したいと思いました。母は「聖書を読みなさい。イエスさまは聖書を通して語ってくださる」と言いました。それで私は聖書を読みました。ぱっと開いたところにこう書いてありました。「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」(ローマ12:

10)その時、ガーンときて、腹が立ちました。というのも私にとっては、妹を愛することなんて絶対にできないと思っていたからです。また聖書を読みました。「義を行わない者はだれも、神から出たものではありません。兄弟を愛さない者もそうです」(第1ヨハネ3:10)その後も4回も私に「兄弟を愛しなさい」と、同じことを聖書をとおして語られました。語られたこのことは私にとってはかなりきついことだと思いました。でも心の中では反省し、これからも努力しようと思っています。今日洗礼を受けて、これからも、イエスさまに従っていきたいなあと思っています。ありがとうございました。


谷口あがさ姉は、松本冬曜兄と共に多くの教会の方々の見守る中でバプテスマを受けられました。姉妹は当教会の牧師、谷口洋一牧師の長女として先生と共にカルガリーに来られました。バプテスマを授けたのは牧師であり、また父でもある谷口牧師からでした。父が愛する娘にイエス様の名によって、バプテスマを授けると言う感動的な素晴らしい、主の栄光拝するひと時でした。 ハレルヤ!!

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NO,11 鈴木好子 Wei

感謝します

先週の木曜日、
VIP聖書研究会で「人生の5つの目的」の25章を学びました。その章は「問題によって造り変えられる」という題で、次のようなメッセージで始まります。「あらゆる問題の背景には神の目的があります。神は状況を用いて私たちの人格を整えられます。事実、私たちをキリストに似た者に造り変えていく過程においては、聖書を読むということ以上に、私たちが置かれている状況を用いられることが多いのです。」

日々の生活の中で私たちはさまざまな問題に遭遇するものです。一つの問題を片付けたと思う間もなく、次の問題が起こります。私の家族が遭遇した問題を簡単に取り上げて述べることにより、何故今日私がこの壇上にいるのか、おわかりになると思います。

1997年から2000年にかけて、夫の転勤のため中近東に滞在しました。ある日、上司の奥さんが、実家で急用ができたため、一週間アメリカへ帰国することになりました。その奥さん、別名Bさんは、三人の子どもが下校した後のケアを私に託しました。早々にBさんは一週間分のTVディナーをフリーザーに買いためて出かけました。どの家庭においても、それぞれ異なった方針があることは、ご存知の通りです。Bさん宅では冷凍のTVディナーを平日5日間続けて食べることへの抵抗は、さほど無かったのかもしれませんが、私にはとても受け入れることができるものではありませんでした。従って私は我家の食事とともに、Bさんの家族の食事も善意のつもりで用意しました。もちろん、Bさんのご主人とお子さんは喜んで食べてくれました。また、子どもの宿題に私が目を通したことも、感謝してくれました。Bさんも帰ってくると、お礼の手みやげを持って、感謝してくれました。

ところが、日が経つにつれて、Bさんは私を避けるようになりました。更に、Bさんの子どもも我家の子どもにかかわらないようになりました。我家では皆、どうしてこうなったのだろうかと、戸惑いました。皆さんだったらどうしますか。我家では戸惑いが怒りとなり、衝突しました。子どもがBさんの子どもの悪口でも言ったのだろうと、勝手に憶測して、子どもにも八つ当たりしました。

更に困ったことに、北米から転勤して来た社員と家族は、ある一定の住居区に住み、ミニ社会を構成していたのです。従って、どこへ行っても毎日のようにBさんたちに出くわしました。夫は会社で、子どもは学校で、私は婦人会で、そして、もちろん、ご近所でといった具合でした。

この出来事から7年の歳月が経ちました。振り返って、Bさんの気持ちを考えてみることがあります。多分、Bさんは毎日食事を作ることに慣れてなかったのでしょう。にもかかわらず、Bさんのご主人と子どもは、Bさんに家庭料理をもっと作って欲しいと言ったかもしれません。それはあたかも主婦の劣等生という印象として、Bさんは受け取ったかもしれません。そうかといって、Bさんは自分のやり方を何も変えたくなかったのでしょう。Bさんの家庭の中でも不満なやり取りがあったかもしれません。そして、その不満を起こした張本人である私を暗黙のうちに責めることになったのだと思います。

恩を仇で返されたこの出来事を容易に忘れることはできません。しかし、私の感情とは裏腹に、聖書はどんな状況にあっても神に感謝しなさいと説いています。この御言葉から何を学んだらよいのでしょうか。私の意志と行動に焦点を当ててみるとたまに良いことをして有頂天になり、その部分だけを覚えています。しかし私は必ずしも他の人に対して善意を持ち、それをいつも行ってきたわけではありません。また、他の人に良いことをしてもらった時に、当たり前のこととして受け取り、礼を言わなかったことも数多くありました。私がしたことで後悔していることの例を挙げてみます。これもまた中近東にいた時に起こったことです。

子どもはそれぞれ小学校と中学校で外国語を選択することが卒業する条件でした。上の子のフランス語の先生は、ソルボンヌ大学で博士号を取得し、インターナショナル・スクールに赴任する以前は、大学で教鞭を執っていました。教育に熱心な筋金入りの先生でした。中学生といえども、流暢にフランス語が話せるようになる目標をかかげ、完璧主義者でした。従って、Y先生のクラスの学習基準は他の中学校のカリキュラムをはるかに上回る基準に見えました。そのため、些細なミスをおかしてもすべて0点となり、合格点に達する生徒は一人もいませんでした。生徒のみならず父兄もこの厳しい評価に閉口しました。私はY先生と何回か面談しましたが、先生に教育方針を変える意志はありませんでした。Y先生の好きな格言は「鉄の固まりをハンマーでずっと叩けば、細い針を作ることができる。」という言葉でした。

中近東での転勤生活が終わる頃、私はインターナショナル・スクールの理事にY先生の不公平な教育方針を通告しました。カルガリーに引っ越して来てからしばらくして、Y先生が首になったことを知りました。私一人がY先生の更迭に責任があるとは思いませんが、少なからずとも負い目を感じました。Y先生自身はよい先生だったかもしれません。ただ、適切な教育現場に当たらなかっただけかもしれません。このような苦々しい想いをしましたが、子どもも私も、大学レベルでY先生に出会えたら本当に良かったのにと思っています。

いずれにしても、私がY先生の生活に支障をきたしたことは確実です。私のせいで起こったこんなでき事は、氷山の一角にすぎません。というのは、私はいつも自分の都合のいいことだけを覚えておこうとするからです。言いかえれば、自分に都合の悪いことは簡単に忘れてしまうということです。

私の記憶にあることや忘れてしまったことの中で、他の人々にひき起こした支障やそれに伴う苦しみ等、すべてを許して頂くために、今日私はここにいます。同時に、辛い想い出を忘れることができれば幸いです。

こうして、子どもの一人はヒューストンで、残りの私たち家族はカルガリーで生活していられるのは、ひとえに神様の導きがあったからこそです。神様に感謝します。この数十年、私たちを病や、事故、天然災害やテロから守って下さり、また夫の仕事も与えて下さったこと等々を感謝します。

イエス様は天の神から人間の姿として地上に送られた一人子です。そして、ご自分の死によって、こうして私の罪をも許して下さる救い主です。多くのクリスチャンの方々が私をイエス様へと導いて下さいました。その方々にも感謝したく思います。子どもの保育園の先生ミス・ジョアンに始まり、カリフォルニアの妙子さんと玉子さん、VIP聖書研究会のホスト小森さんとそこに集うメンバーの方々、そして榊原先生ご夫妻、谷口先生ご夫妻にとどまることなく、他の皆様にも感謝します。

神の恵みが私たち一人びとりに注がれますように。イエス様の御名を通してお祈りいたします。アーメン。

2005年11月27日 鈴木 好子・Wei

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NO,12 平野三友紀 

私は決心しました。】

6ヶ月前にこの教会に来た時は、まさか自分が皆さんの前で賛美したり、ましてや証しをするとは、夢にも思っていませんでした。

私がこの教会に来るようになったきっかけは、岸先生の子育てについての講演会からで、橋本よし子さんから日本語学校で受け取った1枚のビラが始まりでした。よし子さんとは、顔見知りでしたが、あいさつをする程度であまり話をしたことがありませんでした。今思うと神様がよし子さんを通じて私をこの教会に導いてくださったのだと信じています。

2002年の5月に日本から移民して来ました。主人がカルガリー出身だったので、ここに越してきたのですが、それから3年経ちますが、ここの教会のことはちらっとカルガリーウォーカーの紙面で見たことがあるような、ないような感じで、全然知りませんでした。

以前、エホバの証人の人達と1年ほどバイブルスタディーをしたことがありました。でもそこでは、「やれ、何とかは禁止。」「こういうことはダメ!」「それもダメ、これもダメ!」「何曜日は何とか会だからきてください。」とか半強制的になってきていやになってお断りしました。それでも最後まで「あなたのご主人か、親戚の人達が反対するから止めるのか?」としつこく迫られました。そんな事があって、もう宗教はこりごりだ!と思って数年が経ちました。

最初によし子さんが誘ってくださったのは、シャロンの会で「人生の目的について学ぶ会でおもしろいよ!」と言われて行くことにしました。もともと自己啓発関係の本を読むのが好きだったので、参加しました。でもいきなり賛美から始まったので内心(あー、またやってしまった・・・。)と思いました。でもみんなで朗読して自由に意見を交わしてお茶を飲んで楽しく終わったので、2,3回と行くようになりました。その中で自分の心の中にあった悩み事や問題がふつふつと湧き上がってきて、いろいろ話しているうちに涙が出てくる時もありました。

そんな時、よし子さんが岸先生の講演会に誘ってくださったのです。問題の大半が子育てについてだったので、即決で行くことにしました。

岸先生のお話はユーモアがあって、ためになって、そしてまた笑いがあって、牧師さんがこんなに面白くて、教会でこんなにお腹を抱えて笑うとは、かなりキリスト教へのイメージが覆されました。そして翌週から教会に来るようになりました。それでも1番南の果てのコミュニティーに住んでいるのでたまに気の乗らない日曜日もあって、何かと理由をつけては行かないときもありました。

すると不思議なことに教会に行った週は、主人とけんかをしたり、自分のイライラのとばっちりで、子供を叱ったりすることが全くないとまではいきませんが、極端に少なく、逆に行かなかった週は、何かにつけ争いが絶えませんでした。

そこで、(これは家族のためにも教会に通い続けなくては!)と思いました。そんな時、今度は丹さんが「みゆきさん、賛美チームに入らない?」と誘ってくださったのです。私は(そうだ、賛美チームに入っていれば絶対教会に行かなくてはいけないから、もう言い訳はできないぞ。)と思い、入れていただくことにしました。20歳の頃は、バイト仲間とよく朝までカラオケをして、マイクを離さなかったくらい歌うのが好きだったので、数年ぶりにまた歌えることになってうれしく思いました。でも、その後すぐ(クリスチャンではない私が皆さんの前で賛美を歌うなんて失礼じゃないか・・・。)と思い始めました。

そして7月。サニーサイドキャンプに参加しました。当初の目的は、断乳することと、下の子が生まれて以来、お兄ちゃんと2人だけでゆっくり過ごすことがなかったので、いい経験になると思い、参加しました。その時点では、全くクリスチャンになろうとは思っていませんでした。

でも、みんなの生き生きした表情や,自分から率先して仕事をする態度を見たり、これまた面白おかしく、でもためになり、涙することもある中野先生のお話を聞いているうちに、自分も神様を信じたくなりました。でも、やはり心の奥底には、半信半疑な気持ちや、過去の経験から100%素直に「はい、信じます!」とはなかなかいえませんでした。

そんな時、太田ゆみさんが、「どう、みゆきさん。神様のことについてどう思う?」とわざわざ話に来てくださって、いろいろ話しているうちに少しずつ自分の中で準備ができてきました。

そして3日目の早天祈祷会の時、谷口みゆきさんがイエス様を受け入れるお祈りを一緒にしてくださいました。その時はうれしかったのと、自分の中にあった重荷が降ろされたようで、ワンワン泣きました。

そしてやっと本当の意味で、今つけているこのクロスのペンダントをつけることができました。

今も毎日いろいろなことが起こりますが、神様はそんな一つ一つを用いて私達をさらに成長させてくださる。そして、神様は罰を与える方ではなく、愛の神様なんだということを知れたことが、とてもうれしく、そしてまた心強く思います。

まだまだ未熟ですが、これからもどんどん神様のことを知って生きたいので、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

神様の存在を知ることができたことを感謝して、イエス様の尊き御名においてお祈りいたします。アーメン。

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NO13、仁美 Brouillard

【ありがとう! ジェイク】

私がイエス・キリストを自分の救い主とし信じ、クリスチャンになったのは、本当にごく最近です。きっかけは、夫であるジェイクの影響でした。

私は、カルガリーに6年半ほど留学していました、実は、留学一年目にこの教会に何回か来ていた事もありました。友達に、日本食が食べられるよ、と誘われたのがきっかけでしたが、本当に数回通っただけで、教会から足が遠のいてしまいました。

私は、今まで本当にキリスト教とは縁のない環境で育ってきました。父も母も無宗教ですし、おじいちゃんおばあちゃんっ子だった私は、どちらかというといつもおばあちゃんと一緒に木魚を叩いて仏壇に手を合わせるような子でした。自家もお寺の目の前にあり、お寺が遊び場所で、本当に小さい頃はよくお寺のお坊さんに叱られた思い出があります。そんな私が、なぜクリスチャンにと思われるでしょう。

夫のジェイクとは、カルガリーで出会い3年半ほど付き合い今月結婚しました。実は、私がカレッジを卒業してカルガリーで就職活動をしている最中に、大好きなおじいちゃんが入院しました。それを機に私は日本に帰り、ジェイクとは結婚するまでの1年半遠距離恋愛でした。

その離れていた一年半の間にお互い本当に色々な事がありました。ジェイクは、神様の教えの元に戻り、この一年半で別人のようになりました。私は、日本で自分の持病が発覚したり、大好きなおじいちゃんがなくなったりと辛い事ばかりでした。精神的にとても弱い私は、毎日ストレスで、母まで一緒に毎日泣いているような日々でした。そんな時ジェイクに聖書を読むように進められ、言われるまま新約聖書の訳された本を買い、読み始めました。本当に落ち込んでいた私が、たまたま開いたページに、『あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』とありました。それを読んで、本当に救われました。落ち込むたびにその言葉を思い出して、今日は今日の分だけせいいっぱい生きよう。明日になったらきっと気分も変わる。と自分に言い聞かせてきました。

聖書を日本で読み始めて、色んなことに気づきました。落ち込んでいる私に、友達が『これ読むと元気出るから!』と貸してくれた本が、聖書の教えが入っている本だったり、目を向ければ自分の周りには、自分を助けてくれようとするサインがたくさんあることに気が付きました。それでも、私は自分が感じている自分の周りのサインが、イエス様からの物なのか分かりませんでした。

イエス様を信じクリスチャンになろうと思ったのは、夫、ジェイクの劇的変化を目のあたりにしてです。離れていた1年半の間、会うたびにジェイクは変わっていました。毎日、アル中かと思うぐらい飲んでいたお酒もやめ、行動にも責任があり、何よりも他人に対する態度と言葉使いが本当に変わっていました。私がどれだけ言っても変わらなかったジェイクを変えてくださったのは、神であり、イエス様です。

太田姉妹と兄弟の暖かい助けがあり、私はイエス様を私の救い主と信じようと誓いました。今は、ジェイクの成長ぶりと自分の成長を比べてしまい落ち込む事も多い日々ですが、人と比べるのではなく、神様に目を向け自分のペースで成長していきたいと考えています。

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NO14,拵 望

イエス様との出会い  

                                            拵望 

僕は、まぁ、半分クリスチャンの家庭で生きてきました。母がクリスチャンで、父が無神論者で、兄弟はというと、教会へは正直遊びに行っていたと思います。子供のころの出来事は、あまり覚えていませんけど、母に教会へ何回か連れてかれたことを覚えています。僕もまだ子供でしたし、ただ走り回って遊びたかっただけです。もちろん母は、「座って説教を聴きなさい!!」と言いました。でも僕は、信じもしない、アホくさいこと聞いてられるかと思いながら聞きました。

 また、僕の友達のほとんどは、無神論者です。でも一人だけクリスチャンの友達がいました。神を信じない思いは、6年生の時に強まりました。そのたったひとりクリスチャンの友達が、クリスチャンだからという理由で、いじめられたからです。そして僕もいじめられ始めました。しかし、誰にも助けてもらえませんでした。それでも、一年後いじめは、自然になくなっていきました。

 この事をサニーサイドキャンプでマサオ君とほか数人に話したら、みんな僕のために祈ってくれました。その時、そこで、なんだかすっごい、心地いい感じがしました。それは神さまがいらっしゃるという存在感でした。平安を感じました。僕は、その感じ、つまり、神の存在感をもっと知りたいと思っています。もっと深くイエス・キリストを知りたいです。

   「わたしは道であり、真理であり。命である。

   わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」ヨハネ14章6節

イエス様が言われたこの道に従って、僕も歩んでいきたいと思ってます。

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NO15,桑野由起子

「2008年2月3日洗礼を受けました。」

私が聖書と出会ったきっかけは、前回カルガリーに来ていた去年の3月のことでした。ルームメイトのリサが、私に英和対訳の新約聖書をプレゼントしてくれ、折に触れて教会に連れて行ってくれていました。でもその頃の私は、教会でお話しを聞くのも、「英語の勉強のために・・・」程度の心積もりで、自分のこととしての実感は何もなく、いうなれば観光気分でカナダの教会を覗いているだけでした。

2度目にカルガリーに来たとき、私は当時お付き合いをしていた男性がいて、結婚の話を進めるために来ていたのに、来る早々その話が壊れてしまったのです。日本での仕事も全て片付けて、大きな覚悟をしてカナダにやってきた私としては、突然、何のためにやってきたのか、目的を失いました。

日本に帰らなければならない理由もなく、また、去年の夏に日本で病気をして以来いつも「自分の居場所はどこなんだろう・・・?」という疑問を持っており、行く場所もなく、必要とされる場もない、ものすごく大きな喪失感・無力感に苦しんでいたのです。

そんなときに、リサが、「この本読んでみない?」とThe Purpose Driven Life(和書名:人生を導く5つの目的)という本を紹介してくれました。私が「人生の目的は?」と思っていた矢先の事だったので、あまりのグッドタイミングに驚きました。リサはそれから毎晩1時間ずつ時間をやりくりして、本の内容を教えてくれ、二人でバイブルスタディの時間を設けてきました。そこで会った「私たちは神さまの目的のために生きている」とい