| 言葉の散歩道 |
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ことばの散歩道 奉仕のうちに終わるもの いろいろな種類のろうそくが並んでいる店内を何気なく見ていたら、ひとつのろうそくが目にとまった。それが気に入ったというより、そのろうそくに書かれていた言葉に足が止まった。その言葉は、「奉仕のうちに終わるもの」だった。部屋の片すみをほのかに照らし、まわりに光を与え、やがて全部燃え尽きて、ろうそくは終わる。振り返って、果たして、自分はどうかなと首をかしげる。自分の命もいつかは終わるものである。この原稿を書いていると、子供が、「お父さん、あそぼ」と近寄る。私の大方の決まり文句は、「今はだめ。忙しいから今度ね」だ。時間も命も、本当は与えられているものなのに、自分のためにしか使っていないとしたら、私がまわりを少しでも照らす「今度」はいつ来るのだろう。人間は何かに自分の人生を捧げている。自分が捧げているものは、人に奉仕しているだろうか。「人間」という漢字が示すように、人は「人の間」に生きるもので、決して自分一人のために、そして、自分一人で生きていけるものではない。家族、社会、国家、みんな人間関係の中で生かし生かされるものだと思う。 中国のことわざに「風が吹くと砂ぼこりが立つが、砂ぼこりは自分で動いていると思っている」というのがあるそうだ。人は、まさにこの世の「ちり」で、そう、死ねばみんなちりに返るような、もろくて弱いものなのに、高慢にも、すべて自分の力で動いていると思っている。自分に強い力があると思い込み、他人に弱音を吐いたら敗北だと思っている。命は天から、助けは多くの人から来ていることを忘れている。もう少し、自分の気を抜いても損はしないと思う。弱さを見せてもいいじゃないか。もともと、ちりなのだから。弱さは敗北でも罪でもない。すべてがうまくいっているのかのように動くことをやめ、自然体でありのままの自分の弱さを認めよう。その時から、人に自分を与えるという真の奉仕が始まるのではないだろうか。奉仕は人生に有意義な目的を与える道である。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はない」(聖書)。私たちが友のために、自分が持っている時間や自分が持っているものを使うとき、私たちも自分のいのちを与えるという、大切な奉仕をしているのです。いま、子供がガラス戸を外からコツコツと叩いて、自転車で待っているというジェスチャーをしてきた。私は原稿をここでやめて外に出た。この時は、腰の重い自分が、少しだけ、軽くなったような気がした。シャローム(Peace be with you in Jesus.) Calgary Japanese Gospel Church 日本語部牧師 谷口洋一
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