言葉の散歩道



ことばの散歩道  色は匂へど...? (エピソード1)

「いろはガルタを学校でやった」と、小学生の娘が夕食のとき話してくれた。今年のお正月、カルガリー補習授業校でのことでした。今の子供達は小学校で仮名を習うときは、「あいうえお」で覚え、「いろはにほへと」では覚えませんね。(あたりまえじゃ、時代が違う。)従って、いろはガルタはともかく、「いろは歌」を知りません。小生の頃は、両方を習った記憶があります。「いろは歌」は昔、習字の初めに習うもので、字母歌なのです。字母歌というのは、仮名47文字を、一度だけ使って作った歌のことです。それに漢字を当てると、次のようなうまく出来た七五調の歌になります。「色は匂へど散りぬるを、我が世(たれ)ぞ常ならむ、有為(うゐ)の奥山今日越へて、浅き夢見じ()ひもせず」(わたし)的に意味を説明しますと、「若さも青春もむなしい。今日、紅顔があっても夕べには白骨となって、散って滅びてしまう。この世で一体、誰が死を見ない者があろうか。いつまでも続くものは、この世には何もない。そのような越えがたい無常の山々に奥深く入って越えて行くには、たとえ栄華のうちにあっても決して浅はかな夢を見たり、それに酔ったりしてはならない」

 いろは歌のすごさは、実は歌の内容にあるのではありません。いま話題の「ダ.・ヴィンチ・コード」ではないのですが、この中には、ずっと隠されてきている暗号があるのです。その暗号とは、いろは歌の仮名を7文字ずつ折り返して書いていき、各行の終わりの文字(これを折り句といいます)を読むと、「とかなくてしす」つまり「咎無くて死す」という7文字が折り込まれているのです。誰が何のために?誰かが無実の罪を背負って死んだのでしょうか?江戸時代の頃には、「いろは歌」に秘められた暗号のことはすでによく知られていたようです。そのことを示す歌舞伎のひとつに、「仮名手本忠臣蔵」があります。忠臣蔵といえば、有名な赤穂浪士の討ち入りの芝居です。「忠臣」とは忠実な家来のことで、「蔵」とは、もちろん大石蔵之助を指します。では、題名の「仮名手本」とは何のことでしょう?この時代の仮名のお手本といえば、「いろは歌」しかありません。それがどうして、赤穂47士による主君の仇討ちにつながるのでしょうか。47士全員が切腹を命じられたことに対して、お芝居は、彼らは「咎なくて死す」というメッセージを暗に送ったわけです。討ち入りの人数を47人にしてあるのも「いろは47文字」を意識してのことです。当時の将軍綱吉のご沙汰(切腹の命令)を、お芝居や庶民がまともに批判すれば、首がとぶ恐れがありました。それで時代も鎌倉に設定し、名前も変えて作られています。

 では、「いろは歌」がいつ頃できたかですが、平安時代初期以降と考えられています。作者は、一般に、後に弘法大師と呼ばれた空海だと言われています。空海は真言密教を唐から持ち帰り、高野山を開いた方ですが、彼は景教というキリスト教の洗礼を受けて帰ってきた人です。次回は「いろは歌」に隠されたキリストの暗号とは。それでは、シャローム(Peace be with you in Jesus.

               カルガリー日系人福音教会日本語部牧師 谷口洋一