言葉の散歩道



ことばの散歩道  色は匂へど...? (エピソード2 キリストの暗号)

 

 前回に続き、「いろは歌47文字」に隠された「キリストの暗号」に迫ってみたいと思います。もう一度、復習しましょう。かな文字のいろは歌に漢字を当てると、次のような、世の無常を詠んだ七五調の歌になります。「色は匂へど散りぬるを、我が世(たれ)ぞ常ならむ、有為(うゐ)の奥山今日越へて、浅き夢見じ()ひもせず」これを7文字ずつ仮名で折り返して書いて行き、各行の終わりの文字をつないで読むと「とかなくてしす」つまり、「(とが)無くて死す」という言葉が折り込まれていることがわかります。罪がないのに刑死(?)した人とは、一体誰のことだろうと、昔から色々と推理されてきました。伝統的な「折り句」の技法を使い、この歌には何と、それぞれの句の始めにも言葉が折り込まれているのです。各行のはじめの文字をつないで読むと「いちよらやあゑ(え)」となります。このままでは、何のこっちゃえ?意味がわかりませんね。しかし、「いち」はイエス ?キリストのイエスをつめたもの。インド? ネパール辺りでは、イエスを「いち」または「いさ」と呼んだ記録があります。次に「よら」はペルシャ語の「〜は」で、「やあえ」は聖書に記されている天地創造の神の名前で、ヤハウェのことです。神名を直接呼ぶのは畏れおおいということで、「(しゅ)」と言い換えて用いるのがふつうです。つまり「イエスは主である」(Jesus is the Lord)という意味です。すると、文末の「咎無くて死す」は、罪のないイエスの十字架の死を指していることになります。主イエスは、私達一人一人の罪のために代わりに死んでくださったからです。

 では、いろは歌の中に、このような複雑な暗号を隠し入れた空海とは、どんな人なのでしょう。彼は8世紀、唐に渡りました。その当時、唐では、景教(キリスト教)が国教として栄えていました。彼は、その景教と呼ばれるキリスト教の影響を受けた仏教を日本にもたらしたのです。その教えは、キリスト教、仏教、ゾロアスター教(拝火教)などの混合である、まさに密教(真言密教)そのものでした。彼は日本に帰るとき、キリスト教の洗礼までも授けられています。その後、悪い病にかかり、高野山(和歌山県)の岩窟に入って、ミロク菩薩の来臨を念じつつ、世を去りました。その高野山は、空海が開いた我が国のミクロ信仰の中心地です。さて、空海が、その来臨を待望したミロクとは、どんな仏さまでしょうか。もともとそのことばの語源は、聖書のヘブル語の「メシヤ」(ギリシャ語訳はキリスト)です。それが、インドに入ってマイトレーヤとなり、中国に渡って、ミレフとなり、日本に伝わってミロクとなったのです。そのことは、日本とも交友の深い、比較宗教学の権威であるイギリスのゴードン女史が述べています。いろは歌に隠された暗号とは、空海が死に臨んで、念じつつ、現れるのを待ち望んだミロクのことだったのです。それはまさに、聖書巻末の言葉である「アーメン、主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)の主イエスなのでした。それでは、シャローム(Peace be with you

              カルガリー日系人福音教会 日本語部牧師 谷口洋一