| 言葉の散歩道 |
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ことばの散歩道 「ダ・ヴィンチ・コード」(エピソード2) 小説「ダ・ヴィンチ・コード」(ダ・ヴィンチの暗号)の作者、ダン・ブラウンは、レオナルド・ダ・ヴィンチが、キリストの「最後の晩餐」の絵の中に、女性を一人描き入れていると言っています。中央のキリストの右隣に座っている弟子のヨハネを指して、それはヨハネではなく、実は、キリストが愛したマグダラのマリヤだと言うのです。確かに、そう言われて、よく見ると、まさに女性の顔で、「胸もふくらんでいる」などと、その気にさせようとしますが、絵を観ても、そこまでハッキリとはわかりません。本当に女性が描かれていたのでしょうか。聖書は、ペテロが「彼(ヨハネ)に合図して言った...」とハッキリと「彼」と、書いています。ヨハネは若くて、キリストの12人の弟子の中では、最年少です。ダ・ヴィンチの時代、フィレンツェの画家は未婚の青年を描く場合は、年長の髭面の男性とコントラストをハッキリさせるために、みな、意識的に女性っぽく描きました。同じく、ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」では聖母の隣にいる人物は、誰がどう見ても、美しい女性ですが、実は「彼」なのです。彼は天使で、天使の性別は男性格です。また、「バプテスマのヨハネ」もまさに女性の顔かたちをして描かれています。ほかの画家、例えば、カラヴァッジョにしても、青年はみな女性みたいに艶っぽい色男です。 ダン・ブラウンは、この小説で何を表現したかったのでしょう。思うに、これまでのローマ・カトリックの権威主義と独善に対する、自由宣言というよりも、もっと徹底して、信仰の根幹をなす聖書そのものの主張を否定することを意図しているように思われます。それが、また、世間の受けを良くしているようで、キリストは神の子でも何でもなく、人間そのものだった。十字架で死んでもおらず、まして復活などしていない。結婚をして、一人娘まで生まれている。教会が後に、勝手にキリストを神に祭り上げたのだとして、キリストの神性と救済性を否定します。こういう話は昔から後を絶ちません。人間はもっと自由に、道徳に縛られずに生きるのが良いとする風潮です。物語は、それをシオン修道会の行うような乱交の儀式の中にこそあるのだとして象徴的に描いています。最初のシーンで殺されたルーヴル美術館館長は、実はシオン修道会の会長で、その孫娘のソフィーは、十代のある時、その秘密結社の儀式を目撃してしまいます。それ以来、祖父を嫌悪し、成人するまで絶交していたわけです。しかし、祖父が殺される直前に、ソフィーに残した暗号を、トム・ハンクス演じる教授といっしょに解読して行きます。そして最後に彼女は、自分がキリストとマグダラのマリヤとの間に生まれた子供の子孫であることを知ります。そのとき、殺された祖父の生き方(フリーセックス)を受け入れるまでになります。サスペンスとしてのエンターテイメントと、日本人好みのモナリザをはじめとする名画鑑賞と、フランスからイギリスにかけての古寺巡礼の旅をも楽しませてくれて、なおかつキリスト教に対しても、知的な攻撃材料を提供してくれる、まさに賢い日本人がフィーバーするのにピッタシの作品でした。それではシャローム(Peace be with you in Jesus) カルガリー日系人福音教会牧師 谷口洋一
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