言葉の散歩道



ことばの散歩道 ユダの接吻

〈ユダの接吻〉とは、陰で裏切り行為を働きながら、表向きは平然と愛を示すような偽りの愛のことを言います。次のような聖書の有名なエピソードに由来しています。「イエスを裏切ろうとしていたユダは、‘私が接吻するのが、その男だ。それを捕らえろ’と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐにイエスに近寄り、‘先生、お元気で’と言って接吻した。イエスは、‘ユダ、接吻で人の子(イエスのこと)を裏切ろうとするのか’と言われた。

 以来、ユダといえば、銀貨三十枚でイエスを引き渡した裏切り者ということで、その名が今日まで知られています。ところが、最近になって、「ユダの福音書」なる写本が、エジプトで見つかり、21世紀最大の発見とも言われたりしています。古代エジプト語で書かれた、その「福音書」の内容が、NATIONAL GEOGRAPHIC誌の今年の5月号に、初めて紹介されました。それによれば、イエスを引き渡したユダの背信行為は、実は「イエス自身の言いつけに従ったものだった」イエスを裏切った者こそ、最もイエスの忠実な弟子だったというわけです。そして、このことで「お前は、すべての弟子を超える存在になるだろう」とイエス自身から、名誉な言葉をかけられているのです。これは、聖書に書かれているイエス像とユダのイメージが、180度、逆転する内容です。「ユダの福音書」こそ、真実を伝えている本物の「聖書」なのでしょうか。

 現在、聖書として4つある、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書は、イエスと同時代の紀元1世紀以内にすべて書かれたものです。イエスやユダのことを知っていた人々が、まだ生きていた頃に書かれました。これに対し、「ユダの福音書」は、それから、3、4世紀も後のものです。グノーシス主義という神秘主義教団が、自分たちの教義を主張するために、イエスとユダの名前を借りて作り上げたものとして、当時から問題視されていたものです。あの超話題作「ダ・ヴィンチ・コード」も、これらの外典資料を用いて、ダン・ブラウン一流の小説的才能にものを言わせて、いかにもまことしやかに、異説を飾り立てて見せました。ユダの福音書はユダがイエスを引き渡した所で終わり、肝心のイエスの十字架も復活もありません。ブランドのあるところに、偽物が集まるということです。

 野心を抱いてイエスに従ったのは、決してユダ一人だけではなく、イエスを見捨てて、逃げてしまった弟子たち全員も、裏切り者と言えます。しかし、ユダには娼婦やペテロを感泣させたイエスの愛も、なんの感動も与えませんでした。会計の才能を買われたのをよいことに、その中からいつも盗んでいました。自分に利がないと見るや、イエスを見限ってしまう、それが実像なのです。ユダに起こったことは、人はどんなによい環境に長くいても、罪の悔い改めがなかったならば、どこまでも堕ちていくものだという戒めです。「ユダは自分の行くべきところに行くために脱落してしまいました」(ペテロのことば)「愚かな者は生涯賢者に仕えても、真理を知ることは無い。スプーンがスープの味を知ることができないように。聡明な人は、瞬き(またたき)のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。舌がスープの味をただちに知るように」(ブッダのことば)ではまた、シャローム(Peace be with you in Jesus

                   カルガリー日系人福音教会牧師 谷口洋一