| 言葉の散歩道 |
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光明皇后は日本のマザー・テレサ? フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を布教したとされているのは1549年ですが、その1年前にザビエルはマラッカ(マレーシアの港町)で一人の日本人に会いました。彼の名は弥次郎(やじろう)。ザビエルは彼から日本の宗教や風習のことを色々聞きました。「日本には大日如来という慈悲深い仏さまがござり、罪を悔いて南無阿弥陀仏と言うだけで救われるのでござる」ザビエルはこれを、アーメンと心から信じて言えば救われるキリストの救いと重ね合わせて聞きました。そして彼は「キリストの教えは、すでに日本において伝わっていたのではないでしょうか。その光は、今は、仏教の異教的な教えによって、薄暗いものになってしまっていますが、もう一度その光をもたらすことになればと願います」という内容の手紙をヨーロッパの主教宛に送っています。 紀元33年、イエス・キリストが十字架で殺されて死んだということは歴史上の事実です。宗教史的には、「この方こそ、私たちの罪のための、私たちの罪だけでなく、全世界の罪をつぐなう犠牲です」と聖書に書かれています。キリストの十字架の死と復活のあと、弟子たちは力を得て、罪のゆるしと永遠の命という福音(the good news)をたずさえて全世界に出て行くようになりました。その一人、トマスはインドへ行きました。その後、彼の伝道を引き継いだのが、現在シルク・ロードと呼ばれる道を通ってやって来た、東方系(中近東)クリスチャンたちでした。彼らは中国に行き、その教えは「景教(けいきょう)」と呼ばれるようになりました。「景」は大きな光、つまり「大日」とか「光明」という意味でキリストを指しています。そして、199年に弓月(クンユエ)一族の人たちが、シルク・ロードの東の果てである日本にもやって来て、キリストの教えをもたらしました。この木なんの木、気になる木。驚ろ木、桃の木、山椒の木です。 日本に景教がやって来たという最初の公式記録は、「続日本紀」(しょくにほんぎ)という古い本の中にあります。736年に李蜜(りみつ)というペルシャ人がやって来たとあります。彼は景教(東方系のキリスト教)の宣教師であり、医者でした。時の聖武天皇から位も授けられています。その時、天皇のおきさきの光明皇后は、景教の深い影響を受けました。彼女には将来天皇になるべき子がいました。しかし、その子は白血病で苦しみ、死にかけていました。医者であり、キリスト教宣教師である李蜜は、聖書(マタイ8章)の病人のいやしの箇所を読んで祈りました。するとなんと、死にかけていた子供は癒されてしまったのです。皇后はいたく感謝し、キリストを受け入れ、夫である天皇から許しを得て、貧民やらい病(ハンセン氏病)で苦しむ人々のために、残る生涯を尽くすようになりました。奈良の法華寺には光明皇后が、らい病患者の膿を吸って吐き出したという浴室が今も残されています。病める人々の体をそこで洗ってあげたのです。光明皇后について書かれた日本の本には、彼女は、熱心な仏教徒だったと説明されていますが、光明皇后の「光明」というおくり名、つまり戒名(かいみょう)は、景教の「景」の意味である光から取られています。戒名は、もともとはキリスト教の洗礼名だったのですね。それを仏教の僧侶たちが、対抗意識から仏教的に真似をしたのが始まりなのです。シャローム(Peace be with you). Calgary Japanese Gospel Church 日本語部牧師 谷口洋一 |