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ことばの散歩道 日本人はどこから来たのか?
若かりし頃、知多半島の海岸を一人そぞろ歩きながら、島崎藤村の“名も知らぬ遠き
島より流れ寄る椰子の実ひとつ”を口ずさんだことがありました。日本人はどこから
来たのでしょう。黒潮に乗って、椰子の実が流れ着くように南方から来たのだろうか。 、この欄をお借りして、これまで、日本の古い文化の中に、聖書に記されてい
るものと、とてもよく似たものがある事などを拾って紹介してきました。日本人にと
って聖書は、ややもすると欧米のキリスト教の宗教や文化であると思いがちですが、 実は聖書は、もともと私たちと同じアジアの一角の中近東で生まれたものです。それ
が極東に住む日本に文化として伝わって来ているのではないかと思うからです。聖書
の民といわれるユダヤ人が現在、日本に来て、聖書的文化の名残のようなものを、
神社の構造やお祭り、その他日本の行事の中に発見して驚くそうです。なぜでしょう
?その昔、イスラエルは、ソロモン王によって12部族が、一つに統一されていました。しかし、その後、国は分裂し、南朝2部族と北朝10部族の二つの国になりました。北のイスラエルは、アッシリヤ帝国の侵略を受け、民族まるごと大移動する形でアッシリヤに強制連行されます。その地に移された人々はやがて歴史の表舞台から消え去ります。この失
われたイスラエル10部族の謎を巡っては、これまで様々な説明がされていますが、
一つだけ確実な事は、この人々は、シルクロードを通って、東方へ向かったということです。
「イスラエルの宝」とも言われる有名なユダヤ大百科事典(ヘブル語版)に、日本とイ
スラエル10部族に関する記事が載っています。そこでは、日本人、特に日本の皇室に
10部族の血が流れている可能性が示唆されています。日ユ同祖論(日本・ユダヤ同祖論
Common
Origin Theory)という言葉を聞いたことがありますか?古代イスラエル人が日本
にやって来て、日本人の先祖の一部となり、彼らの宗教や文化が日本の文化形成に深く
影響したという説です。
天皇家の三笠宮殿下は昭和天皇の弟にあたりますが、古代オリエントのすぐれた考古学
者でもあられ、流暢なヘブル語を話されることでも知られています。殿下がなぜ、聖書
の舞台であるイスラエルに興味を持つようになったのか。それは、第二次世界大戦で日
本は敗れた。日本を敗かした西洋の文明をもっと知りたいと願った時、ある教授から、
西洋の文明を理解する鍵はメソポタミヤ、特に古代イスラエルにあると教えられた。
そこで殿下は、中近東の研究を始められた。学んでわかったことは、イスラエルを理解することは、単に西洋文明を理解するためというより、オリエントつまり、日本を含めた東洋そのものを本当に理解する鍵であると気づいたというわけです。古代イスラエルは西洋と東洋を結ぶ橋であり、歴史を解明する鍵なのだと。三笠宮殿下によれば、日本の過去の歴史について、はっきりしたことが一つあると言われます。それは、古代ペルシャからの影響です。古事記や日本書紀には、日本とペルシャの間に深い交易があったことが書かれています。奈良の正倉院には、ペルシャからシルクロードを通って、6、7世紀頃に日本に渡って来たガラス製品や工芸品、絹織物、楽器などが保存されています。ペルシャがあった所はどこでしょう。それは、かつてイスラエル10部族が連行されたアッシリヤ帝国があった所です。
1932年、バンクーバーで「日本人とは誰か」とう講演をしたカナダ人がいます。明治・大正時代の日本に長く滞在し、東京大学で教えながら日本中を旅行してまわり、日本を研究したエドワード・オドルム教授です。彼も、古代イスラエル人が日本にやって来て、日本の中枢の文化を作ったと考えました。このように日ユ同祖論を説く人々は、内外にたくさんいます。さて、あなたは?世界はスモール・ワールド、どこかでロマンがつながっているのではないでしょうか。それではお元気でシャローム(Peace be with you in Jesus)
カルガリー日系人福音教会牧師 谷口洋一
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