| 言葉の散歩道 |
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ことばの散歩道 イースター 初春のこの時節、全世界のキリスト教会では、イースター(復活節)を祝います。今年2008年は3月27日です。イースターは、キリストが、死からよみがえったことに由来します。キリストの誕生を祝うクリスマス(降誕節)は、12月25日と定まっているのに対し、イースターは、毎年コロコロ変わるのはなぜか?それは、春分の日を起点として、次の満月のあと、最初に来る日曜日をイースター・サンデーと決めているからです。 キリストが歴史上、十字架にかけられた日は、春の「過ぎ越しの祭り」が行われる満月の日でした。そして、3日後の、週の始めの日に死からよみがえりました。折りしも、東(East)の空に太陽(Sun)が昇るところでした。以来、人々は、週の始めの日をSundayと呼んで毎週キリストを礼拝するようになりました。また、キリストがよみがえった日を特別に憶えて年に一度、Easter Sundayとして世界中で祝うようになりました。 人間は、みな死ぬもの。これほど平等なことはありません。一休和尚の詠まれた歌にも、 ”生まるれば死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も” お釈迦様や、達磨大師も、私たち猫や杓子も、生まれた以上、みんな死んで行く者。悲しいと言えば、これほど悲しいことはありません。死に場所や、どんなふうに死にたいかを願う人はいるでしょう。西行という人は、自分の死ぬ日を願って ”願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月のころ”と歌いました。そうしたら、数年後、本当に本人の願い通り、2月15日(満月)の次の日16日に死んだので、当時の人々は驚いたそうです。興味深い話しですね。でも、本人の生まれる日まで自分で決めることのできる人は一人もいません。ところがキリストは、生まれる年、日、場所、死ぬ日、どんな死に方をするか、そして三日後によみがえることが全部、聖書に預言されていました。それらが全部実現しました。 死後の生命があるか、ないかという問題は、プラトンの時代から、頭で論議してみても結着はつきません。あの世から、メールは来ないのですから。キリスト教は、論より証拠を示します。すなわち、キリストは、よみがえった体をもって人々の前に40日もの間、現れました。これを、ばかばかしいと言うか、そんなことがあるのかと思うかはあなた次第です。目の前に現れたキリストを、それでも疑う弟子のトマスに「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手をのばして、私の脇に差し入れなさい。信じない者にならないで信じる者になりなさい。」(聖書)と言われました。イースター、すなわち復活の意義はなんでしょうか。もし、キリストの復活が真実ならば、私達の人生においても、墓の向こうにも希望を持つことができるでしょう。「わたし(キリスト)はよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(聖書) それではシャローム(Peace be with you in Jesus) カルガリー日系人福音教会牧師 谷口洋一
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