| 言葉の散歩道 |
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−夏は涼しく、冬はあたたかく 12世紀に中国から日本に伝わった抹茶は、千利休によって茶道(the Way of Tea)として、今日、高度な精神文化にまで高められて受け継がれています。茶の文化は、禅の思想から大きな影響を受けていますが、一説によれば、茶祖千利休はキリシタンであったと言われています。徳川家康によるキリシタン禁止令が出された慶長19年(1614)、激しい迫害の中で、キリスト教の聖餐式を行うことができなくなりました。聖餐式とは、信者同士が集まり、パンとぶどう酒を頂く儀式です。ぶどう酒は、キリストが人々の罪をゆるすために十字架の上で流された血潮を表します。パンは、裂かれたキリストの体を表します。その聖餐式ができなくなったキリシタンのために、ひそかに、それに代わる特別な「お茶席」を開いたと言われています。 千利休には「利休七哲」と呼ばれた、特に優れた七人の弟子がいました。その一人、高山右近をはじめ、何人かはキリシタン大名でした。高山右近が国外に追放される時、右近は利休から贈られた羽箒を大切に持って行きました。羽箒は茶室では「清」、すなわち清める道具の一つとして使用されます。多くの茶道具の中からこれを選んだ利休の思いは何だったのでしょう。千利休は「四規七則」をもって、客をもてなす茶道の精神を説きました。「四規」とは、前述の「清」を含む「和・敬・清・寂」の四つです。「七則」とは、「花は野の花のように生け、炭は湯のわくように置き、夏は涼しく、冬はあたたかに、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」の七つです。これらはみな、人をもてなす、当たり前の基本です。しかし、このとおりに行うことはむずかしいことです。それは、口で言うことはではなくて心の問題だからです。行ないは、思いの働きであり、主人と客の所作によって表れてくるものだからでしょう。 よく聞くことですが、「私は型にはまった生き方はイヤだ。もっと自由に生きたい」などと。しかし、スポーツや武道、芸事などすべては、型や所作をマスターすることによって、より自由に行うことができるようになるのは実滅です。キリストも言われました。「もしあなたがたが、私のことばにとどまるなら、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」(聖書)キリストのことばにとどまり続けることは、ひとつの型にはまった所作になるわけですが、これに従うことで、むだを省き、生き方が自由になるということです。利休の説く「四規」の中の「寂」が、これを指して言われ、「侘び」の境地でもあります。「信心は、満ち足りることを知るものには大きな利得の道です。なぜならば、私たちは何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです。」(聖書)終わりに利休のことばをひとつ。「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてて呑むばかりなるものと知るべし」シャローム(Peace be with you) Calgary Japanese Gospel Church 日本語部牧師 谷口洋一
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